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海の青より、空の青 第7話
第二章 小学5年
あっちゃん
小学五年の夏休み。
僕と両親と三人で隣の県にある祖父母の家に来ていた。
お盆の恒例行事だったそれは、同時に夏休みの一番の楽しみでもあった。
なぜなら、ここには僕の家の近くにはないものがすべてあったからだ。
海と山、カブトムシやクワガタ、駄菓子屋に花火大会に盆踊りと、それこそ本当にすべてがあった。
唯一、一緒に遊ぶ同世代の男友達だけはいなかったが、祖父や祖母、それに年の近い親戚が僕の相手をしてくれるので、そのことに関しては特に不満もなかった。
祖父母の家から十五キロ程離れた隣町に住んでいる従姉のあっちゃんは、お盆の短い期間だけ僕のお姉ちゃんであり友達だった。
彼女の家族もうちと同じく、毎年お盆の間は二日か三日、伯父と伯母と彼女の三人で祖父母の家へと泊まりに来ていた。
もっとも今年の春から中学生になった彼女は、夏休みとはいえ日中は部活動で学校に行かなければならず、今日も今さっき伯父の車でここに戻ってきたばかりだ。
お互いに一人っ子だったということもあって、彼女は僕のことを猫可愛がりしてくれていたし、僕も彼女のことがとても好きだった。
年は彼女のほうが二つ上だったが、おっとりとした性格と童顔のせいか、年齢差を感じることはあまりなかった。
まだ日が暮れたばかりだというのに、大人たちはすでに居間で酒盛りを始めていた。
僕と彼女はといえば、座卓の上に所狭しと並べられたごちそうを幾らか取皿に盛り付けると、仏間の横にある広縁で子供だけの宴を開催することにした。
戦利品の骨付きフライドチキンにかぶりついていると、互いの二の腕が触れるほどの近距離に座った彼女が僕の顔を覗き込んでくる。
「ね、ナツくん。怖い話してあげよっか?」
子供が夜に集まってすることといえば怪談話が定番だが、僕は特にその手の話には目がなかった。
「うん! 聞きたい聞きたい!」
すぐに食い付いてきた僕に彼女は得意気な顔をして見せる。
そして、少しだけ勿体ぶるように小さく咳をしてから話を披露してくれた。
――えっとね。
すぐそこの浜で二十年くらい前に本当にあった話なんだけどね。
ちょうど今の時期くらいに、砂浜で女の子が死んでいるのが見つかったんだって。
その子はこの家の近所に住んでいて、年はナツくんと同じくらいで。
女の子の髪や身体はビショビショに濡れていて、腕には海藻も絡みついていたそうだから、きっと海で溺れたんだろうね……。
その次の年の夏に、その女の子の同級生が夕方の海に犬の散歩に行ったんだって。
そうしたら、死んだはずの女の子が海の中から上半分だけを出して、おいでおいでって――。
それはどこかで聞いたことのあるような話だったが、よく知っている場所が舞台というだけあって僕は強く興味を抱いた。
「あっちゃんはその話、誰に聞いたの?」
彼女曰く、中学に入学したばかりの今年の五月、理科の授業中に雑談好きな担当教師が話してくれたらしい。
どうにも胡散臭い先生らしく、彼女もクラスメイトも話半分で聞いていたのだという。
「私もすっかり忘れてたんだけど、こないだ急に思い出してお父さんに訊いてみたの」
彼女の父親は「そういえばだいぶ前にそんなことがあったなあ」と、さも事もなげに、教師の話にいくつかの訂正と補足を加えて話してくれたそうだ。
「その子はお父さんよりも少し年上で、確かここの隣の町内の、石田さんのところの子だったんじゃないかな」
それは二十五年くらい前、お盆の時期を少し過ぎた頃の出来事で、当然といえば当然だが当時は大騒ぎになったそうだ。
事件性はなかったようで水難事故として処理されたのだが、それからしばらく地元の人間はその浜にあまり近づかなかったらしい。
急にリアリティーを伴い始めたその話を夢中で聞きながら、僕の脳裏にはまるで自分が実際に体験したかのように、その時の光景が鮮明に浮かんでいた。
――ひとり波打ち際で遊んでいたその子は、母親に買ってもらったばかりの麦わら帽子をうっかり風に飛ばされてしまう。
お気に入りのそれを必死に追い掛けているうちに、波に足を攫われて海中に転んだ。
すると次から次へと波がやってきて、彼女の小さな身体は上へ下へと蹂躙される。
藻掻いた手と足に地面の感触は得られず、絶望感を覚えたと同時に意識を失った彼女は、遂に――。
「アンタらこんなとこにいたのね。本っ当に羨ましいくらい仲がいいんだから」
とつぜん背後から声を掛けられた僕と彼女は、座ったままの姿勢で五センチ近く飛び上がってしまう。
振り返ると伯母が不思議そう顔をして僕たちを見下ろし立っていた。
「なに? 二人ともどうしたの? なんか悪巧みの相談でもしてたんじゃないでしょうね?」
別に悪巧みではなかったが、褒められるような話でないのも間違いなかったので、僕もあっちゃんも何も答えられず顔を見合わせる。
そんな子供たちの様子など意に介さず、伯母は早々に話を本題へと戻した。
「そろそろお墓参りに行くから、明日那と夏生ちゃんとでお花とお線香持ってってね」
用件を済ませて去っていく伯母の後ろ姿が見えなくなった途端、僕と彼女は顔を見合わせると大声をあげて笑った。
「あはははっ!」
もし、座ったままお尻で同時にジャンプをする競技があれば、僕と彼女のペアで県の代表くらいにはなれるかもしれない。
このネタだけでもう一時間くらいは笑っていられそうだったが、大人たちを待たせるわけにもいかないのでお墓参りの支度を始めることにした。
花や線香の用意を終えた僕たちは、玄関前でしりとりをしながら大人たちが出てくるのを待っていた。
「る……る……ってナツくん! 『る』ばっかでズルい!」
禁じ手の『る攻め』で彼女を打ち負かしたところで、祖母を先頭に僕とあっちゃんの両親、少し遅れて祖父が見るからに上機嫌な様子で家の中から出てくる。
「お、明日那は本当に夏生のことを好いてるんだなあ」
僕に覆い被さり、しりとりの仕切り直しを要求していたあっちゃんを見た祖父が嬉しそうに言う。
「あなたたち、付き合っちゃえばいいのに」
叔母の無責任な発言に、あっちゃんは耳を真っ赤にして「もう! お母さん!」と大きな声をあげた。
祖父母の家の地域では、お盆の中日の日没後に墓参りをする珍しい風習があり、十四日の今日がその日にあたる。
僕たち子供二人が先頭を歩き、その後ろを女性陣、だいぶ離れて男性陣という並びで墓地のある寺へと向かう。
あっちゃんと肩を並べ歩いていて気づいたのだが、去年までは頭ひとつ分くらいは彼女の方が背が高かったのに、いつの間にか同じくらいになっていた。
彼女の背が縮んだということはないだろうから、この一年で僕の身長が著しく伸びたのだろう。
「ナツくん。背、急におっきくなったね」
どうやら彼女も同じことを考えていたようで、同じ高さになった目を細めると「来年には抜かれちゃうかも」と言って、なぜだか嬉しそうにピンク色の小さな舌を出してみせる。
寺の正面の通りには、大人の背丈ほどもある細い角材に提灯が括り付けられたものが等間隔で地面に立てられており、手持ちの明かりがなくとも歩くには十分な明かりが確保されている。
虫取りで日中に訪れることの多い通りであったが、今はまったく別の場所のような幻想的な雰囲気に包まれていた。
寺の境内にはほんの数軒ばかりだが、色とりどりの露天商の屋台が並んでいる。
焼きそばにたこ焼き、それに金魚掬い。
その少し奥ではわた飴とりんご飴が同じ屋台で売られている。
思わず足がそちらに向かいそうになるが、先ずはご先祖様のお墓参りを済ませなければいけない。
手にしていた線香やライターの入ったビニール袋をいったん彼女に預け、墓地の入口の水場に立ち寄る。
桶に目一杯に水を湛えてから、柄杓を片手に墓へと向かった。
やがて最後尾をふらふらと歩いていた男性陣が到着すると、厳かさとは些か縁遠いお盆の墓参りが開始されたのだった。
大人たちが線香やら供花やらの準備をしているうちに、僕とあっちゃんとで柄杓を使って墓石に水を掛ける。
「うちの先祖はみんな暑がりだからいっぱい掛けてやれよ」
父の言うことなのであまり当てにはならないが、桶一杯分の水を柄杓で掬えなくなるまで掛けたあと、桶のさらに底にわずかに残った水までも墓石の上へと振り掛けた。
それが終わると皆で線香を捧げ、各々墓に向かって合掌をする。
先ほどまでの喧騒がまるで嘘であったかのような静寂が訪れ、遠くからは花火が上がる音が微かに聞こえた。
「ナツくん、大人になったらふたりで花火見に行かん?」
音のする方角の夜空に目を遣りながら、彼女が遠い未来の約束を取り付けようとしてくる。
「うん。あっちゃんとならどこにでも行きたい」
「……ちょっと、やだ。ナツくんたら!」
またしても顔を真赤に染めた彼女に背中を思い切り叩かれる。
「よし! 墓参りも終わったし、帰ってご先祖様の分まで呑むか!」
なんとも仕様もない父の掛け声によって、本年の中参りの終わりと宴会の再開が宣言された。
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