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死に方生き方を学ぶ場所。

ACP   :   Advance Care Planning
という名前がようやく一般的になってきた昨今。

一見、何か特別なもののことのような話にみえますよね。それに、何か仰々しくも感じます。

そもそもの発端として、終末医療期の人生会議を行い他職種でチームを組んでサポートしますよという話から始まったわけですが、

とかくこのACPという意味合いとしては、本来誰もが自分の人生について考えること、また自分の大切な人達と人生会議をしましょうということ。

だから産まれてすぐから、親や祖父母達のそうした話を当たり前に聞いている家であれば、当たり前に馴染むものであるくらい、

ごく日常的にあるべきものだと私は考えています。


ほんの30数年ぐらい前まではそうした考え方自体は薄かったにしても、

生まれたり亡くなったりがまだ自宅で誰もが目にするなかに存在していて、

近所の人のお葬式なんかも行くような時代だったわけで
そうした生きることや死ぬことにふれる機会は、今の時代よりずっとありました。

けれども

その体験を自分のものとして捉えるには
当時のハードルがとても高かったのです。

なぜなら
少しでも長く生きることが
ベストな時代だったから。

死ぬ時はという話題はタブー。
というよりも
想像することを避けるのが一般的でした。

その当時死ぬことと宗教はセットで
新興宗教が沢山でてきていました。
そしてあらゆる宗教関連の事件も起こり

考えたくないことは考えないで、
自分が望むものを手に入れたい、
という人達を
沢山洗脳で作り出していた時代でした。

昨今、政治と宗教のカラミが問題視されていましたが最近あまり聞かなくなってきた気がします。

だってその、所謂洗脳を
国が先導して行っていたなんていったら
大変な問題ですよね?

だからその確信的な言葉は濁したまま
お金の話だけにスポットを置いてきていたのだと思います。


そしてその間は
長生きするのが最上
という考え方が一般化されていて

めまぐるしい程の医療の進歩が起こり
少しでも、1秒でも長く生きることが
可能な時代になってきています。

様々な、生命維持装置と呼ばれるものが
うまれたのでした。

そうした
医療依存度が高いまま
昔に比べると明らかに
少しでも長く生きられる時代となり、

そのなかで
このACPという考え方が生まれたのです。

今のこのような時代でも
変わらないのは

結局 死に方生き方を
次世代が学ぶ場が少ないということ。

私は仕事柄
生命維持装置に繋がれた沢山の人達を
目の当たりにしてきました。
そして、そのお一人一人の生き方、生き様を
学ぶ機会も頂けました。

しかしこのような体験は、普通に暮らす中では
到底無いのです。

身近な人がそのようになって、初めて体感するものとはまた異なる領域でもありますしね。
身近な存在、大切な人の死になると
自分ごとにするのには
ものすごくハードルが高いからです。

だからこそ
沢山の人達の生き様、価値観、
そして死ぬことに対する意識など

そうした折に触れて、
生きることから死ぬことを

「ほんの少しだけ」

学べるのだと思います。
そして自分ごとに昇華できるようになるのです。


たとえば死に方。

今の私であれば延命したいのかしたく無いのか。余命宣告されたとき、何をしておきたいのか。
医療が発展したからこそ、受けたく無い医療は何か?
最後の場所はどこで過ごしたいか?

これらのあらゆる選択肢の中身って
学ばなければわからないものです。

インターネットはわかるけど
その中の選択肢の内容は
一つ一つ知っていかなければ
わからないのとおなじです。

生き方にしても同様です。

私の場合、ラッキーだったのは
あらゆる生き様を本人から聞くという
体験を沢山できたことです。
まさに
介護医療従事者の特権だと思いました。


昔の時代だと上司や先輩から学ぶことが多かったのかもしれません。
その学びがあればこそ、死に方ときちんと向き合うこともできるのだと思います。

逆に言えば、そうした学びはだれにでも必要なものなんです。
どんな天才でも、どんな世界に生まれ育ったとしても。

でも圧倒的に学べる場所が少ないです。

現代社会はフィクションに溢れた世界。
でも生き方死に方は
フィクションからは難しい。

リアルからしか学ぶことができない世界。

そこで、本人の
コミュニケーションスキルが問われてしまうので格差が生じますね。

死に方格差、というか。

今の時代、どこで何があるかわからないし、何に遭遇するかも、病をもつかもわかりません。
その中で一番大切なことは、死に方生き方を学ぶ場所と、学ぶ意識。しかも、日常的に。

戦前だと、そうした役割があったのが
宗教的なものだったのだと思います。
そうしたことが書かれた書物からも
学ぶことができます。
それが新興宗教や、既存の宗教を伝えていく人達によって捻じ曲げられてしまったのは
紛れもない事実です。


私の祖母は
89才のときに具合が悪くなってから
あっという間に亡くなってしまいましたが、
そういう死に方をしたい、と
若い時から家族や周りに話していました。

だから余計な事もせずに、安らかに亡くなることができたのだと感じます。

色々学ぶなかで、
ACPの一番肝心な部分は、
どこであったとして
何歳だとしても
自分の最後のときに
誰かへ バトンを渡すことさえ出来るのなら。

それが一番大切なことだと思います。


ある日突然何かが起き
それに遭遇すること。

それは誰もがなり得る可能性があるものです。

だからこそ
私は死に方はどうであったとしても
皆、同じなのだと考えています。

突然遭遇する可能性自体
皆同じようにあるわけですから。


だから大切なのは生き方。
でも人が生きることを本当の意味で大切にできるようになるには、

死に方にきちんと向き合ってこそ、
生き方を大事にできるようになれるのだと私は思うのです。


つづく


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)