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#ネタバレ 映画「Fukushima 50」

Fukushima 50
2020年作品
語り継ぎたい
2019/5/31 18:03 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

「 2011年3月11日午後2時46分。

あの時、福島第一原発に残った名もなき作業員たちは、

“Fukushima 50”と呼ばれたー 」

( チラシより抜粋 )

映画「シン・ゴジラ」とは、もしかしたら、この「Fukushima 50」のことを描いていたのかもしれません。

怖くなかったと言えばきっと嘘になるでしょう。

怖くても、日本のために、命がけで残った作業員たちは、自衛隊員にも匹敵する覚悟があったのだと思います。

追記 ( ゴジラの謎 ) 
2019/9/20 22:45 by さくらんぼ

『 東電旧経営陣3人に無罪 原発事故で強制起訴 』

( 2019/9/19 13:18 〈2019/9/19 18:17更新〉 「日本経済新聞」 )

『 「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」 元東電社員「炉心専門家」 』

( 2019年8月13日 05:30「excite.ニュース」 )

追記Ⅱ ( 米軍が撮影協力 ) 
2019/11/19 17:32 by さくらんぼ

「 原発事故を描く映画『Fukushima 50』に米軍が撮影協力!陸上自衛隊からは要人輸送ヘリが登場 」

( AbemaTIMES 2019年11月19日 11:46 )

追記Ⅲ ( 「職責などからくる極度のストレス」 ) 
2020/3/10 10:26 by さくらんぼ

3.11当時、福島第一原子力発電所所長だった吉田 昌郎さんは、その後、「食道がん」で亡くなりました。

病は「気」からと申しますので、密かに私は、「極度のストレス」が病気の原因の一つになったのではと、思っていましたが、やはりウィキペディアでも同様の見方をしていました。

極限すれば、ある日突然、部下の人命、日本の存亡すら、彼の肩にかかってしまったわけですから、その重責は想像を絶したと思います。

映画はまだ観ていません。

いろいろ問題点もあるようですが、仕事とはいえ、命と引き換えに日本を守った人がいた、という事は忘れないでいようと思います。

ご冥福をお祈りします。

『 「 吉田 昌郎(よしだ まさお、1955年2月17日 - 2013年7月9日)は、日本の技術者である。東京電力株式会社元執行役員。

2011年3月11日の東日本大震災発生時に福島第一原子力発電所所長を務めていた人物で、福島第一原子力発電所事故の収束作業を指揮したことで知られる。

…中略…

所長として、体調不良を押しながら4号機燃料プールの補強工事を行っていたが、人間ドックで食道癌が発見され、2011年11月24日に入院した。その後2011年12月1日付で病気療養のために所長職を退任し、本店の原子力・立地本部事務委嘱の執行役員に異動となった。

東京電力によると被曝線量は累計約70ミリシーベルトで、医師の判断では[17]、被曝と病気との因果関係は極めて低いとされている[18]。米山公啓聖マリアンナ医科大学医学部第二内科元助教授は職責などからくる極度のストレスが原因ではないかと指摘している[19]。 』

( ウィキペディア「吉田昌郎」 来歴 原発事故発生後 より抜粋 )



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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