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#ネタバレ 映画「カラカラ」

「カラカラ」
2012年作品
観光客と理想郷
2013/2/4 14:26 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

「いたいの、いたいの、とんでけ~」というオマジナイを誰でも知っているように、いわゆる「手当て」という治療法が存在します。

「それだけで治ったのなら気のせいだ」という人もいますが、まさに正解で、「手当て」とは「気・(医療気功)」の事だったのです。

世の中には「気」とか「オーラ」が見える人もいますが(そんな人は「手当て」を信じやすい)、たとえ見えなくとも(「手当て」を信じにくい)、普通の人の手からも、多少の「気」が出ると思われます。 前述したオマジナイや「手当て」という言葉が広く生きていることからも想像できます。

したがって、両手をすり合わせて温かくしたあと、リラックスして、ゆったりと腹式呼吸しながら(そうすれば「気」が出やすい)、患部に手のひらを当てて(あるいはかざして)「手当て」をすれば、症状の改善が期待できます。映画「ベスト・キッド」(オリジナル版)のクライマックスに気功治療のようなシーンが出てきますが、あれも「手当て」の一例だと思います( このレビューは西洋医学を否定するものではありません)。

そして「いわゆる気功体操」は、自身の健康と、「手当て」をパワーアップさせる、効能があります。ですから、めざしたいのなら、ラジオ体操やジョギングも良いですが、気功も習った方が良いのです。

ある流派では、気功の最初は、長年にわたり体に溜まっている「邪気」を追い出す体操から始まります。からだの大掃除ですね。節分にちなんで言えば「鬼は~外」になります。これで心身ともに爽快な気分になります。

それがすむと、つぎは外気から「良い気」を取り込む体操をします。これは「福は~内」ですね。これで、だんだんとパワーアップされていくのです。もちろん、これらは基本であり、他にもたくさんの気功体操があります。

映画「カラカラ」の中で、とう突に純子が「マイケル・ムーア監督に、沖縄の基地問題を取り上げてもらいたくてメールしたの」というような話しが出てきました。ここには、とう突にでも出さなくてはならない理由があったわけで、これが映画の主題だと思われます。

沖縄の基地問題は、少なくとも癒やしの島を求めてきた観光客にとっても、「芭蕉布」という記号で象徴されるような古き良き沖縄にとっても、不本意なことです。だから映画では沖縄の「邪気」と描かれたのでしょう。

さらに純子の、夫からのDVも「邪気」であり、ピエールと純子の浮気もまた「邪気」であったのです。ピエールは「俺をカーチェイスになぞ巻き込まないでくれ!」と怒りましたが、それは浮気という「邪気」を吸い込んだための因果応報に他なりません。

この映画は、さまざまな邪気を追い出し、クリーンにする事の大切さ描いていました。

しかし、寒い国から来たゲストが、南国の沖縄を、基地の島ではなく、伝統文化に支えられたピュアな癒しと観光の島、になってほしいと願う気持ちは大変よく分かりますが、沖縄の基地問題を、単純に「邪気」として切り捨てたのは、やはり観光客の目線でした。観光客ではない我々は、基地がなくなった後の安全保障問題までも考える必要があるからです。それが、あらたな「邪気」として私の心に残りました。

ピエール(ガブリエル・アルカンさん)はヘンリー・フォンダを想い出させる、善人オーラ全開の魅力ある名優でした。対する工藤夕貴さんは若い頃の映画を観たことがあるきりでしたが、まだ固いつぼみだった彼女が、大人の女優さんになっていて驚きました。いつのまにか、みんな、歳を、かさねたのですね。

★★☆

追記 (純子という女) 
2013/2/8 11:12 by さくらんぼ

ピエールは大学教授を定年退職して沖縄へやってきました。大学教授に限らず、退職すれば多くのものを失います。じっとしていては喪失感がつのるばかり。そのままではうつ病にもなりかねません。だから「カラカラ」でしょうか。

そんな退職後の生活でフォローすべき事を挙げると、お金、健康、趣味、社会参加(友人作りも含む)、などになります。

これをピエールに当てはめると、大学教授だったとのことで、お金の心配はなさそうですね。健康も気功で大丈夫でしょう。趣味もカメラに芭蕉布、さらには日本文化、アジア研究など、もりだくさんです。ここまでは、一人でもなんとか工面できるものです。

しかし社会参加には相手が要るので少々やっかいです。

一般には趣味のサークルにでも入れば良いのですが(ピエールにとっては沖縄移住=趣味のサークルに入る事だったのかもしれません)、そこにも、どろりとした人間関係があり、入ったからと言って必ず親友が出来るとは限りません。

さまざまな仕事をしている人たちが集まってくるわけですので、大学教授の様なインテリ・オーラを出す人と話しが合う人たちばかりとは限らないのです。つまり、表面的な知人はすぐ出来ても、それ以上の友人が出来るかは別問題。

友人が出来なければ、趣味のサークルに入っていても寒々とした社会参加になりかねません。ましてや異性の親友を作る事など、第二の人生を生きるものにとっては至難の業です。

やっと本題に入れました。

あえて不純な言い方をすれば、ピエールにとって純子は、リタイアした男の友(ときに愛人!?)として、さまざまな条件に適った、実に都合の良い女だったのです。それが向こうから押しかけてきた。なんという夢物語。

さらに映画を良く観ると、純子はHをしたのにもかかわらず、ボディー・ランゲージでは友人の距離を保っており、そのことからも、若くはないピエールにとって心地よい距離感である事も伺えます。

この映画のキー・パーソンは純子だったのです。

この映画から純子を取り除けば、どこにでもあるリタイア男の放浪物語になり、寒色系でリアルです。でも純子が入ったので暖色系でメルヘンになったのです。

この映画が受賞したのは、それは、きっと西洋人の見果てぬ夢をキー・パーソンが見せてくれたからでしょう。彼らは純子の向こうに憧れの芸者ガールを見ていたのでしょうか。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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