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#ネタバレ 映画「行き止まりの世界に生まれて」

「行き止まりの世界に生まれて」
2018年作品
ゴミの山はオモチャの山だったけれど
2020/9/28 21:53 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

「 行き止まりの世界に生まれて 」というタイトル。

「 傷だらけのぼくらが見つけた明日ー 」

「 ラストベルトーアメリカの繁栄から見放された土地 」というキャッチコピー。

それらから私がイメージしたのは、フィリピンかどこかのゴミ処分場で暮らす人々の姿でした。

私が幼い頃にも、近所の運河を埋め立てて公園にする工事が何年間も行われていましたから、私はトラックで運び込まれるゴミをオモチャ代わりに、ゴミ捨て場を公園代わりにして、遊んでいました。

近所の工場の焼却炉の中に入って、灰をまさぐり、燃え残りの金属を探すのも、宝探しのように楽しかったです。今にして思えばダイオキシンの危険があったかもしれませんが(ゴミと一緒に燃やされてもイケませんから、良い子はマネをしないでください)。

しかし、映画が始まって「?」となりました。

主人公たちはスケボーを楽しみながら普通の生活をしていたからです。ゴミ処分場など出てきません。家を見ると私と似たようなものです。

家庭環境に多少の問題がありそうですが、わが家も含めて、どの家庭にも多少の問題はあるでしょう。

産業が無く閉塞感のある市町村は、日本にも「消滅可能性都市」として多数あります。

要するに、画面に映った人々は、日本でも、あちこちにいそうな、スケボーの大好きな好青年だったわけです。

★★★

追記 ( 「一億総中流」 ) 
2020/9/28 22:00 by さくらんぼ

ゴミ捨て場で遊んでいた私ですが、青春時代には「一億総中流」という言葉が流行り、自分もその一人だと思っていました。

「子ども食堂」がある今と違って、一度も飢えたこともありませんし。

追記Ⅱ ( 「幸福感」のある後味 ) 
2020/9/29 6:38 by さくらんぼ

映画が進行するにつれて明らかになるのですが、監督兼カメラマン・ビン(アジア系の青年)は少年たちの親友なのです。

映画は、彼が12年間にもわたり撮りだめたフィルムを編集したものでした。

だからでしょうか。

観客である私たちも「親友の一人」として潜入に成功したようで、多分どんな組織でもそうであるように、「親友といる時間の幸せ」が映画全体から伝わってきて、(不思議なほど)居心地の良い作品でありました。

この作品の価値は、その「親友といる時間の幸せ」をフィルムに定着させることに成功した事なのかもしれません。

追記Ⅲ ( 監督が本当にしたかったこと ) 
2020/9/29 7:00 by さくらんぼ

>映画が進行するにつれて明らかになるのですが、監督兼カメラマン・ビン(アジア系の青年)は少年たちの親友なのです。(追記2より)

しかし、なぜビンが映画を撮ろうとしたのか。

クライマックスに明らかになりますが、ビン自身も又家庭環境に問題があり、それを誰かに相談したかったようです。

親友と二人ビーチにでも座り、海を眺めてビールでも飲みながら、「…実は、俺んち…」などと身の上話をすればよかったのですが、勇気がないビンにはそれが出来なかったのでしょうね。

( どこかそれは、直接会話は苦手でも、メールでなら話せるという現代っ子を連想させる姿です。 )

その代わり、婉曲的な会話として、カメラを覗いたのだと想像します。

それは、自分が告白する代わりに、映画と称して親友たちに先に告白を促し、その結果を、密かに自分の家と比較するという形になりそうです。

これは、自分の事は棚に上げて相手のプライバシーに踏み込むという手法を連想するので、いかがなものかという気持ちもしないではありませんが。

追記Ⅳ ( 映画「アヒルと鴨のコインロッカー」 ) 
2020/9/29 8:49 by さくらんぼ

>自分の事は棚に上げて相手のプライバシーに踏み込むという手法は、いかがなものかという気持ちもしないではありませんが。(追記Ⅲより)

そのスタイルは、映画「アヒルと鴨のコインロッカー」のブータンからの留学生・ドルジを連想させました。

( 以下、映画「アヒルと鴨のコインロッカー」のネタバレです。 )

『 仙台駅、椎名とドルジの別れのシーンです。ドルジが「また逢いたい」旨の言葉をかけますが、椎名はOKの返事と、NOのボディ・ランゲージを残して改札口に消えていきました。

あれは、きっとNOが本心であり、椎名はドルジとの友情を強制終了するつもりなのでしょう。OKとも言ったのは、椎名の優しさ故だと思います。

そもそも、二人の関係は、ドルジの企みから始まりました。彼は計画的に嘘をついて椎名を騙し、己の目的遂行のために密かに利用したのです。もちろん椎名を善意の第三者以上には巻き込みたくない、という優しさも、本当の事を言ったら協力してはもらえないかも、という心配もあったのでしょう。でも、いずれにせよ、利用された椎名は、後に真相を知った時、内心では、心が凍りつくほどの衝撃を受けたはずです。

椎名は田舎から出てきたばかりで、何も分からず右往左往しているところを友達面した男に騙されて、事もあろうに強盗殺人事件の共犯にまでされかけたのです。そんな事が公になりでもしたら、それこそ、何かの映画にもあったとおり、椎名の親戚縁者、孫子まで、大きな迷惑が及びかねません。椎名ひとりの人生が台無しになるだけではすまないのです。

この映画は、椎名も、ドルジも、そして犯人も電話の、訛りのある言葉、から・・・あえてこの言葉を使いますが、「よそ者」なのですね。この映画はよそ者が孤立してゆく悲劇も描いていました。

ときどきアメリカで、学校での銃撃事件が起こります。

その犯人の中には、移民で言葉の壁があり、そのためクラスメイトやご近所との心の交流が出来ずに(子供時代に移民したため、母国語も、英語も未熟な少年になってしまい、デリケートな言葉の表現ができないため、自分の心の内を吐露できるような会話ができず、疎外感を抱き、友もできないまま)孤立していったことが遠因の人もいた、と聞いたことがあります。

さらに、最近起きたマラソンでのテロ事件、あれも異文化に溶け込めないアメリカ人の若者でした。もちろん、だからと言って犯罪が許されるわけではありませんが・・・。

そう観ると、この映画は、意外と先進的なテーマも扱っていたのかもしれません。 』

( 映画「アヒルと鴨のコインロッカー」追記 2013/4/30 10:37 by さくらんぼ より )

追記Ⅴ ( 映画「ビッグ・ウェンズデー」 ) 
2020/9/29 9:23 by さくらんぼ

( 映画「ビッグ・ウェンズデー」のネタバレです。 )

この映画「行き止まりの世界に生まれて」は、悩み多き3人の若者がスケボーをするお話です。

でも、スケール感は全く違いますが、ふと映画「ビッグ・ウェンズデー」を連想したことも確かです。

そして、映画「ビッグ・ウェンズデー」では、こんなエピソードがあります。

無理やり徴兵された3人組の一人が、ベトナム戦争で戦死するのです。その葬儀に集まる親友2人。

彼らは、葬儀の終わりに戦死した友の両親に挨拶に行きますが、サーフィン仲間だと聞いて、無視同然の扱いをされます。学友であればもっと違った扱いを受けた事でしょうに。

しかし、彼らが親友であることに間違いはなく、故人も葬儀に来てくれて一番喜んだに違いありません。

そんな隠れた人間関係にスポットライトを当てたことも映画「ビッグ・ウェンズデー」の良さですが、今回、映画「行き止まりの世界に生まれて」にも、その匂いがしたのです。

いや、そのエッセンスだけを抽出したものだと言っても良いのかもしれません。

追記Ⅵ ( これは「人種問題」の作品か ) 
2020/9/29 11:23 by さくらんぼ

>というキャッチコピー。

>それらから私がイメージしたのは、フィリピンかどこかのゴミ処分場で暮らす人々の姿でした。(本文より)

映画「行き止まりの世界に生まれて」の軸足を「貧困問題」に置くと、「特筆するほど貧しいですか?」となります。もしかしたら、私の方が貧しかったかもしれない。

でも、「黒人、白人、アジア人、の仲良し3人組」という「人種問題」に置くと、「良いね!」となるのだと思います。

いろいろな受賞があるのは、主にこの「人種問題」を評価しての事でしょう。

映画のチラシでも「人種問題」をキャッチコピーにすればより分かりやすかったと思いますが、それでは映画の「主題」を書いてしまいかねないので、あえて隠したのかもしれませんね。

追記Ⅶ ( 2枚の集合写真 ) 
2020/9/29 13:43 by さくらんぼ

>無理やり徴兵された3人組の一人が、ベトナム戦争で戦死するのです。その葬儀に集まる親友2人。(追記Ⅴより)

訂正します。映画「ビッグ・ウェンズデー」で戦死したのは3人組の一人ではなく、3人組と仲が良かった一人でした。3人組はクライマックスまで登場しますね。

さて、そのクライマックスですが、待ちに待った伝説の大波が押し寄せた日、ビーチへ降りる石段の前に3人は集まりました。

石段の脇には壊れかけた「立ち入り禁止」の札と柵があったように思います。

サーフボードを手にして海を見つめていた彼らは、久しぶりに3人が集合したことを確認すると、微笑みながら見つめあい、やがて、ゆっくりと石段を降りていくのです。

「フォトギャラリー:行き止まりの世界に生まれて」の中の一枚は、それを連想させますね。

追記Ⅷ ( 象徴的な「階段」 ) 
2020/9/29 16:42 by さくらんぼ

映画「ビッグ・ウェンズデー」ではビーチへ降りる階段が象徴的に使われています。クライマックスもそうでしたが、オープニングもそうでした。

酔っぱらって満足に歩けないマット(ジャン=マイケル・ヴィンセントさん)を二人の親友が両肩を支えて階段まで連れてきます。早く水につけなきゃ死んじまうと(魚か!)。

しかし、二人は階段の上でマットを自立させ、「ここからは一人で行くんだ」と厳しく言い放ちます。「わかった」とヨタヨタ階段を降りて行くマット。

サーフィンの達人であることを知らないビーチの人たちが、遠くからマットを見て笑っています。

映画「行き止まりの世界に生まれて」のオープニングにも、唐突に3人が非常階段を上るシーンが用意されています。

こわれそうな階段の途中で「死にたくない」と引き返す三人。

どこかに「立ち入り禁止」の札もありました。三人は「この札は無視する」と言って先へ進みます。

追記Ⅸ( 連想ゲーム ) 
2020/9/29 17:07 by さくらんぼ

映画「ビッグ・ウェンズデー」には大波のせいで二つに割れたサーフボードが波打ち際に流されていました。

前述したように仲間の戦死も出てきます。三人組は墓地で涙します。

物語は夏、秋、冬、春の四章から出来ており12年間のお話です。

3人組の一人と恋をしましたが、兵役のために結ばれなかった美人のヒロインが出てきます。

クライマックスにはビッグ・ウェンズデーがやってきます。

映画「行き止まりの世界に生まれて」では、スケボーを足で執拗に踏んずけて二つに割る(唐突にも感じられる)シーンが出てきます。

父の死で、墓地で涙ぐむ三人組の一人がいました。

若者三人の12年間のお話です。

モデルさんかと思うほどの美人のヒロインが出てきますが、真相があいまいなDVがあり、二人の行く末が観る者を悩ませます。

この作品はビッグな各種受賞をしました。

きっと探せばその他にもあるでしょう。

あまり軽々にはオマージュという言葉を使いたくありません。しかし、二本の作品は連想ゲームが面白そうです。

追記Ⅹ ( 連想ゲーム② ) 
2020/9/30 8:15 by さくらんぼ

映画「行き止まりの世界に生まれて」の中盤には、3人の中の一人が、缶ビールの脇腹に噛みつくようにして飲んでいるシーンがあります。

普通はそんなところに穴は開きませんし、飲めません。だから尋常ではないシーンです。

そこから連想したのは、映画「ビッグ・ウェンズデー」に出てくるマットがアル中のようだったことです。

それから、映画「行き止まりの世界に生まれて」のオープニングには、古いビルの壁に付けられた何十本ものパイプを、3人の中の一人がよじ登るシーンがあります。

そのパイプだけ新品のようにピカピカでしたから(丈夫そう)、撮影のために、わざわざ取り付けられたのか、それとも、わざわざそんな場所を選んだのかと思っていました。

いずれにしても唐突感があります。

その理由を考えていましたが、映画「ビッグ・ウェンズデー」のチラシを見て、思わず笑ってしまいました。

一枚に、こんなキャッチコピーが書いてあったからです。

「 青春という名のパイプラインのなかで、ドラマは始まった。 」

追記11 ( 非常階段という大波 ) 
2020/9/30 16:34 by さくらんぼ

>それから、映画「行き止まりの世界に生まれて」のオープニングには、古いビルの壁に付けられた何十本ものパイプを、3人の中の一人がよじ登るシーンがあります。(追記Ⅹより)

パイプがサーフィンのパイプラインなら、その直後に続く、錆て不安定になった非常階段を上る途中で「死にたくない」と引き返すエピソードは、大波にチャレンジしようとしたものの「ぼくらには無理だ」と途中でリタイアした様子を意味して、映画「ビッグ・ウェンズデー」への「献辞」であったのかもしれませんね。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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