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「小記事の備忘録」スポーツの話題

「今週までのパレット」「小記事の備忘録」は 過去ログにもあります。

2022.11.13 お借りした画像は、キーワード「スポーツ」でご縁がありました。若い頃に、実は私も似たような構図で写真を撮ったことがあります。ヤシカ・エレクトロ35を使って。ですから、懐かしく拝見しました。少し上下しました。ありがとうございました。


① ジョギングで記録を目指すと3カ月後に壁が来る 

①~⑥は朝ドラ「舞いあがれ!」のレビュー追記を転記・加筆したものです。

2022.11.9

私は25歳ごろにジョギングを始めました。正直言って学生時代はスポーツは嫌いでしたが、それは学生時代のスポーツは対戦競技・団体競技が多かったからだと、後になって分かりました。私の性格ではジョギングとかアーチェリーとか、禅にも通じるような静かな個人競技がフィットしていたのです。

就職して一日机で事務をし、昼休みには喫茶店で座って過ごす生活に耐えられなくなった私は、いつも喫茶店の窓から外を見て「走りたい」と思っていました。そして、とうとう帰宅後に走り始めました。大げさに言えば本能に逆らえなかったのです。

前述したように、それまではスポーツに無縁でしたが、いきなりジョガー、ランナー、レーサーを目指すようになったわけです(それは、初心者、中級者・1時間走れる人、上級者・優勝を目指す人、とも訳せます)。最初は連続して300メーター走れませんでしたが、最終的には10~15キロ、1時間ぐらい走れるようになりました。でも、そこで膝を痛め、近所の外科にも行きましたが、有効的な治療も出来ず、引退することになりました。今はウオーキング専門です。

その頃、本で学んだ事ですが、人はトレーニングすれば3か月間ぐらいは記録が向上するのだそうです。しかし、その辺りで限界が来る。ちょうど私も3か月で体重が8キロ減り、ひざを痛めました。

夕方走って、疲労は一晩寝ても回復せず、翌日はふらふらで仕事に行きました。夕方になってやっと回復し、また走って疲労するの繰り返し。自転車操業を連想しましたから、やはり、その辺りが限界だったのでしょう。

夕方走らない時は、職場の昼休みに走ったり、自宅まで走って帰ってきたりしました。あの青春は昨日のようです。年金生活者になったことが嘘みたい。

ひるがえって、NHK・朝ドラ「舞いあがれ!」のヒロイン・舞は、期限まで2カ月しかない状態で、人力飛行機のトレーニングに入りました。舞が成功したのは、2か月という短期限が、もしかしたら、逆に味方した可能性も…と思ったのです。

ちなみに、スポーツ医学も日進月歩でしょう。皆さまは私を参考にせず、最新情報をさがしてください。

追記 2022.11.9 ( 野生児への憧れ )

せっかくですから、ランニングの話をもう少しします。

ひざを故障した私ですが、我流で練習したつもりはありません。

大都市でも、近所の靴屋にはジョギングシューズは無く、テニスシューズしか売られていなかった時代、隣県からも客が来るような隣町の専門店へ行き、当時1万円もした外国製のジョギングシューズを買いました。インナーソール初体験です。

そして、(今も売られている)ランニング専門誌をさがしまわり、これもまた隣町の本屋で見つけ、毎月購読しました。

そこに書かれていた最新走法は、「つま先ではなく、かかとから着地をせよ。そうしないと、つま先の骨を痛める」というものでした。

それと符合する様に、ジョギングシューズの中には、ソールが露骨にかかと上部まで張り付けてある物や、かかとから後ろ方向へ板のような突起のある物(かかと着地時のダンパーのよう)もあって、なるほどと納得したものです。

しかし、私はそれを意識しすぎるあまり、足を棒のように突っ張って着地するようになり、衝撃でひざを痛めたのです。こんなに頑丈そうな膝関節を痛めるなどという事は想像すらできませんでした。人間の体は意外にもろいものです。

走ることは健常者なら誰でもできる技です。その「普通の走法」で走っていたら、ひざを痛めず、もっと長期間、ランニングを楽しめた可能性があると、今でも思っています。

そして、後日談もあります。

近年、TVドラマの「マラソンをする主人公の走法」が、かかと着地では無かったので、「間違っている!」と憤慨し、あらためてランニング情報を仕入れたら、意外にも、「(私の誤解でなければ)かかと着地は古い理論であり、つま先着地が推奨されている」ようでした。つま先と言っても、正確には指先ではなく、指の付け根辺りのようでしたが。

その後の最新理論ではどうなっているのでしょうか。

本の理論が自分にとって正しいとは限らないし、正しくても自分が正しく理解しているとは限らない。

自分が正しく理解しているとしても、それが最新理論とは限らない。

それが最新理論だとしても、自分にとって正しいとは限らないのです。


② ジョギングからサイクリングへ 

2022.11.11

足の症状は、(階段を昇る時は何でもありませんが)降りたり、走ると、右ひざの関節に針を刺したような痛みを感じたのです。ときどきエスカレーターが昇りのみ動いているのを見ると、降りこそ動かすべきだと思ったものです。

通院した近所の外科では、レントゲン異常なし、念のための痛風検査で血液を調べても異常なしでした。でも、当時は天気が下り坂になっても痛みました。それも初体験。

今ならネットがありますから、治療に関する情報があふれていますし、スポーツ専門医をさがすことも容易でしょう。スポーツ医なら別のアドバイスをもらえたかもしれません。

しかし、すぐにはランナーを引退せず、その後も数か月ぐらいは、練習量を減らして、だましだまし走っていました。やがて、痛まない程度の練習が日課になりました。1.5キロ以内だったでしょうか。

そして数年後、近所で3キロのジョギング大会がありました。橋の完成記念で渡るのです。しかし、まだ膝は完治していませんでした。走行途中で痛みがぶり返し、それを機に引退を決意しました。

しかし、まだ青春の真っただ中です。せき止められたエネルギーは逃げ道を探しました。

そうして、サイクリングをしようと思ったのです。

近所の自転車屋さんでサイクリング車を買い、そのハウツー本も買って、まだ独学で始めました。

足で走るのは1.5キロしかできなくとも、サイクリングなら10倍以上走れました。

しかし、大都会の真ん中に住んでいる私は、大都会を脱出し、自然の中に入るまでに疲れてしまうという事に気がつきました。

一度だけ、愛知県の知多半島を一周する計画を立てましたが、ネットもスマホなく、計画を立てようにも細部が容易には見通せず、小心者の私は、実現には至りませんでした。途中、山の中で足を故障することも心配だったのかもしれません。

自転車を折りたたんで、電車などで運ぶ輪行(りんこう)も考えましたが、私の自転車は折りたたみには(不可能ではなくとも)適さないものでした。組み立て直すと細部のチューニングがくるってしまうのです。

数回、家人にクルマで遠くに運んでもらい、自転車で帰ってくるサイクリングを楽しんだこともあります。その中には、愛知万博会場、今のジブリパークもあります。2時間もあれば帰宅できたと思います。

でも、前述したように、大都会の真ん中から2時間(往復4時間)ぐらい走らなければ脱出できないという現実の前に(つまり楽しいサイクリングは2時間後からスタートする)、サイクリング熱も沈静化していきました。


③ サイクリングからアイススケートへ 

2022.11.11

サイクリングをやめて、しばらくした頃、無性にアイススケートがしたくなり、意を決して、近所のアイススケート場へ、一人で行きました。

こういう時に友人に相談しないのは私の習性です。

教えられるような立場にならないうちに友人に頼ると嫌われる、そう恐れているのです。

教則本を買い、独学して、スケートリンクに立ちました。

しかし、歩く事さえ出来ません。あの怖さは忘れられません。

手すりを持ってグルグル歩くだけでした。

やがて、少しずつ手放しでも歩けるようになり、奇跡のように、滑れるようになりました。

そうして、最後は、指導員のお兄さんのまねをして、手を後ろに組んだまま、背筋を伸ばし、軽く体を左右に揺らすだけで、滑走できるまでになりました。

場内にかかる松田聖子さんなどの歌謡曲を聴きながら滑るのは至福の時でした。

やがて、貸し靴では、スケート靴のブレード(刃)がすり減り気味(横方向もに容易にスリップ)な上に、足首が痛い靴(革ではなくプラスチックのように硬い素材)があるのに気づき、自分の靴が欲しくなりましたが、靴を買うのではなく、引退に至りました。

夏になればスケートから遠ざかりますし…

今思えば、サークル活動ではないので、(小心な私には)友だちが出来なくて、氷に慣れたころに、淋しさに気がついたのかもしれません。

また滑ってみたい気持ちもあります。

知人の年金生活者に「一度でいいからアイススケートをしてみたい」という人がいて、思わず「教えてあげる」と声をかけようとしました。

しかし、高齢者ほど気をつけなければいけない事の一つは、転倒です。

転倒して、骨折し、ベッドから動けなくなり、やがて寝たきり老人になって、ボケてしまうのが一番怖いのです。

だから、知人には声をかけませんでしたし、自分も再トライはやめました。

今は都会のウオーキングを楽しんでいます。

(追記)

私は、1992年アルベールビルオリンピック銀メダリストの伊藤みどり選手と、若い頃に、同じリンクで滑ったことがあります。

と言っても驚くことはありません。

私のような素人と、オリンピック候補選手は同じスケートリンクで滑るのはよくある事だったのです。練習場の不足が原因です。

ある日の午後、私が練習していると、突然、誰かがす~っと近づいてきて、急にジャンプし、クルクル回って着地しました。その時の、「ドスン!」という着地音が忘れられません。あの音はTVでは聴こえないものです。

その選手のお顔を拝見すると、伊藤みどりさんのようでした。

客席を見ると、山田コーチと思われる方の姿も見えました。


④ アイススケートからシュノーケリングへ 

2022.11.12

幼い頃、劇場で映画「チコと鮫」を観ました。

南の海の、幼い少年と小さなサメの物語です。

ストーリーは覚えていません。でも、モノクロ画面で展開していた物語が、チコが潜って岩場の向こう側に行くと、突然カラーになり、ブルーの海と、色とりどりのサンゴ礁になった時の、色彩の衝撃が忘れられません。

当時のわが家には真空管ラジオしか無かったはずですし、カラー写真満載の週刊誌などもありません。絵本も「金の斧・銀の斧」という 1冊しか記憶がありません。つまり、モノクロの世界に生きていた私の、カラー初体験が、映画館の大画面で、サンゴ礁だったわけです。

そのせいもあるのでしょう。私はいつかサンゴの海で潜りたいと思うようになりました。いや、泳ぎは苦手な癖に、なぜか水は好きだったのです。

やがて、大人になると、職場の同僚を誘い沖縄に行きました。

しかし、私が泊まったホテル近くの海は、評判通り海水はきれいでも、ビーチには島の赤土があったり、ガラガラの岩場だったり…

白砂があっても、1㎡に1匹ぐらいの割合でナマコかウニが鎮座していたりと、残念ですがイメージとは違いました。もちろん違う場所もあるはずですが。

ホノルルマラソンの同行者としてハワイにも行きました。

あそこは「波乗りの島」であり、ビーチ近くの海は波で砂が巻き上げられ、透明度は今ひとつでした。ゴミもナマコもなく、評判通りの楽園には違いありませんが。

その頃、シュノーケルをやりたいと思うようになりました。

さっそく、本屋さんで教則本を買い、独学で挑戦しました。

駅前のダイビングショップにも行き、度付のゴーグルと、シュノーケルを買いました。ダイバーが使える物であり、プール用でも、オモチャでもありません。

とりあえず、自宅の風呂で潜ってみました。

そして、その直後、オーストラリアのグレートバリアリーフに一人で行きました。シュノーケル初体験をグレートバリアリーフで行ったわけです(本当は、シュノーケリングは二人一組で行うもののようです。お互いに危険が無いか監視し合うわけです)。

ケアンズから1~2時間船に乗ってグレートバリアリーフに到着しました。そこでランチとシュノーケリングをするのです。深いので、もちろん足はつきません。でも、水面近くまで突き出たサンゴ礁もありました。見知らぬ若者に、「これで良いですか?」と、装着後の、ダメ押しの確認を求めました。

その海には、透明な水、色とりどりのサンゴ礁と、畳のように大きなマンボウがいました。海の底まで空中のように見えるので、落ちていきそうな気がして怖かったのを覚えています。沖合ですから、波もありました。

カレーランチを食べた後にシュノーケルをつけるので、(どこかに飲料水もあったはずですが)口をすすぐために海水でうがいしたら、ものすごく塩辛かった事と、帰りには船員から「フリーズ」して欲しい旨のアナウンスがあり、客が全員その場で固まった事も印象的な思い出です。

船員は客をフリーズさせて人数を数えて確認し、港へ帰るのです。

数え直しが無かったので一発で人数が合ったのでしょうが、数え間違えて数字が合致した可能性も…と思ったり、(失礼ながら)なんとなくアバウトな感じがしたことも確かです。

その後、グアムにも行きました。

ホテル街、タモンビーチの、腰ぐらいの深さにある、ミカン箱ぐらいのサンゴにも、映画「ファインディング・ニモ」に出て来るような、黄色くて小さなクマノミがいて、こちらを覗いているのを見ました。

別の魚には食いつかれ、指先にゴマ粒のような歯が食い込み(鯛の歯のようなもの)、血がにじんだこともありました。小さいくせに凶暴な奴もいるのです。

海のきれいな場所へ行けば景色も良いでしょうが、景色だけを見ていると、魅力の1/2しか味わえないと思いました。

残りのドラマは水中にあるのです。

ある意味、海の中で、人間は魚と対等です。お互いに観察しあって、時に攻撃されます。水族館のように、人間は安全圏にはいられません。その真剣勝負も魅力の内でしょう。

残念ながら、遠いので、なかなかきれいな海にはいけませんから、近年は潜っていませんが、ビーチリゾートへの機会があれば、道具だけは持っていくつもりです。


⑤ シュノーケリングからアーチェリーへ 

2022.11.12

( アーチェリーの話題はこちらにもあります。)

仕事をリタイアすると、目の前に広がる、怖ささえ感じる空白の時間に圧倒されました。

幼稚園に入ってから仕事をリタイアするまでの数十年間、浪人や無職の経験がない私は、切れ目なく社会に束縛されていたからです。

通学・通勤の習慣でさえ、私の心がリタイアするまでに1か月かかりました。全体では、沈静化するのに2~3年必要だと思いました。

私は、退職の翌日もスーツにネクタイで、ほぼ、それまでの出勤時刻と同じに地下鉄に乗り、街へ出たのです。

一カ月定期を買いました。

都心へ出て喫茶店でモーニングサービスを頼み、大型書店がオープンするまで時間を潰します。

その後、書店で時間調整をして、映画を観に行くか、図書館に行くか…4月前半は、桜の名所にも行きました。

1か月が過ぎるとやっと落ち着きを取り戻し、出勤もどきは止まりました。

その後は、午前中は部屋の整理をし(仕事が精神的な負担だったので、部屋の整理をする心のゆとりが無く、ひたすら外へ気晴らしを求めていたのです)、午後からはウオーキングと喫茶店です。

その頃、図書館にある文化行事のチラシで、アーチェリーの講習会を知りました。射的は面白そうだと思いました。

これは申し込まない手はありません。

しかし、春の講習会には抽選で落選してしまい、秋にやっと当選しました。

後で知ったのですが、すでに卒業してアーチェリークラブに入り活動している人の中に、何度も受講する人がいるのです。そして、(抽選は厳正でも)そのような人が当たり、まったくの初心者が落選するという事態が起こっているのです。

何度も受講する人にも事情はあるでしょう。でも、主催者には、やはり初心者を優先するような配慮が欲しいと思いました(今は改善されているかもしれません)。講習会を卒業しないとアーチェリーをやらしてもらえないのですから。

その後、秋の講習会を受講し、受講後は切れ目なくアーチェリークラブにも入り、アーチャーとしての人生を楽しむようになりました。

クラブの正式な集いは月に一回ですが、多くの人は自主練習をしており、私も週に2~3回の割合で、気がつけば10年近く楽しみました。

しかし、その辺りで腕の故障をし、整形外科に診てもらったら、3か月間完全休養を命ぜられました。ショックです。その他にもケガをしたり、体調がすぐれなかったりと、不調が続き、やがて新型コロナにも突入し、結果、ここ数年間は練習をしていません。私の厄年だったのかもしれません。

アーチェリーは意外とハードな筋肉スポーツなので、再開するためには、筋肉を付けることろから始めなければなりません。

この10年間は、(たぶん)浦島太郎が竜宮城にいた時のように楽しい時間でしたから、このまま終わりたくありません。月に2~3回の練習で良いので、また、仲間と集いたいと思います。

やはり、一人でやるのではなく、仲間がいた方が楽しいものです。今は、ぼんやりと再起のタイミングを計っています。


⑥ アーチェリーから気功へ

2022.11.13

( 気功・オーラの話はこちらにもあります。)

ラジオ体操がスポーツなら、気功もスポーツでしょう。

気功には、座禅のように動かない「静功」(せいこう)と、ラジオ体操のように動く「動功」(どうこう)があります。

アーチェリーを始めて1~2年したころ、クラブ仲間にオーラが見えるという人がいて、その人が言うように試してみたら、私にもオーロラのような「オーラ」と、煙のような気功の「気」が見える事が分かりました。

多くの人が見えると思いますが、おそらく昔の私のように信じていないから(かすかなものが)見えないのです。たとえ見えても「気のせい」でかたずけてしまうのでしょう。

しかし、本気で挑む心と、コツさえ知れば、多くの人に見えるのだと思います。コツはネットにも多数UPされています。

でも、見えたとして、それが何になるのでしょう。

私はその疑問を解決するために本屋さんに行き、気功の本を買いました。

そして、数か月後には、独学で気功を始めたのです。

気功は概ねラジオ体操より単純な動作です。

ワンパターンを覚えるだけでもかまいません(じっと座っているだけでも気功になるぐらいですから)。

そして1日15分でも良いのです。

でも、私は「静功」と「動功」を合わせて、ピーク時には、5~10種類を1.5時間ぐらい毎日行いました。週に2~3回アーチェリーに行き、残りの日は気功です。だから、毎日のように午前中は運動の時間でした。10年近く公園で気功をして、気持ちの良い時間を過ごしました。

気功で気感が覚醒すると、ラジオ体操をしても気功になってしまいます。それどころか、背伸びしても、深呼吸しても、気功になってしまいます。気が出入りするのが分かるのです。

気功の「手あて」の真似事も(自分の体だけにしか行いませんが)出来るようになりました。

思うところあって、今は1.5時間もやっていませんが、毎日のスクワット100回などが、同時に気功になっています。毎日15分の気功をしているような感じです。

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