真夜中のチーズオムレツ
深夜二時を過ぎたがユウキはまだ帰らない。今日はそんなには遅くならないと思う。夕方のユウキからのラインにはそう書いてあった。さっき、深夜一時を過ぎた頃にまたラインを送ってみたが、返事はないし、まだ既読もついていない。ユウキと二人で暮らすようになってもうすぐで半年になるが、お互いを知れば知る程に、二人の間の距離が拡がっていく、そんな風に思うことがたまにある。まだ今ほどお互いを知らないころは、同じものを面白いと思ったり、同じものを良いと思ったりすることが、単純に嬉しくさえもあった。それが、お互いを知れば知る程に、面白いと思う理由とか、良いと思う理由とかが、わたしとユウキの間では、まったくの真逆、つまり、価値観が殆ど対称と言ってもいいくらいに違うということに気づくようになった。それで、そのうちに、いつからか気がつけば、わたしたちは同じことで笑ったり、同じことで喜んだりすることが減るようになった。今夜は仕事の打ち合わせを兼ねて飲んでくるとユウキは言っていたが、ユウキの言う、そんなに遅くならない、は全くアテにならないことをこの半年でわたしはよく理解した。一番ひどかったときなんて、遅くならないと思う、と言ってそのまま連絡もなく翌日の昼くらいまで帰って来なかったこともあった。その日はわたしも仕事に出てしまっていたので、正確には何時にユウキが帰宅したのかはわからなかったが、夕方ごろに、昨日はごめん、さっき帰ってきた、ご飯ありがとう、というような文章と共に、わたしが作って冷蔵庫に入れておいたユウキの分のカレーライスの写真が送られてきた。夜にわたしが帰宅すると、ポストの中には午前十一時頃の時刻を示したアマゾンの不在票が入っていて、昨日のユウキの服がソファの上に脱ぎ捨てられていた。玄関にユウキの靴はなく、ユウキ本人はまた出かけた後だった。大手の仕事を下請けする広告代理店、というのがユウキの勤務先だが、どうしてそんなにずっと働いていないといけないのかがわたしには全く理解できなくて、たまにそのことを考えていると気が狂いそうになることがある。浮気でもしてるのかな、と疑ったこともあったが、これは希望的観測に過ぎない考えなのかもしれないが、ユウキのことを知れば知るほどに、彼の場合はおそらくそういうのではないのだろうなと思うような要素を多く知るようになって、ある意味で、逆に絶望的な気持ちになった。たとえば浮気をごまかすためにそういう杜撰でいい加減な言動をしているのであれば、それは悲しいことではあるが、まだわたしの理解の範疇にあるような気がするが、そうではないのだとすると、それこそもうほんとうにユウキのことが全くわからない、理解できないような気がして、それでわたしは絶望的な気持ちになる。そのくせに、ユウキは最近になって、避妊具を使わなくなった。わたしはピルを飲んでいるわけではないし、まだ結婚する意思も覚悟も固まっていないのだが、さもそれが当然のことのようにゴムをつけずにわたしの中に入ってこようとするユウキのことを、どういうわけか、わたしは拒むことができなかった。ユウキがどういうつもりなのか、本当にわからなくなって、一度その事を聞いた事があったが、オレはリカコの事が好きだよ、とだけ言って気がついたらその会話は流されてしまっていた。結局、やっぱりわたしもユウキのことが好きなのかもしれない。ガラスのテーブルに、コップの表面から水滴がつたって垂れた。室内はエアコンと床暖房でしっかりと暖まっていて、湯上がりだったこともあって、Tシャツにショートパンツという真冬とは思えないようなふざけた恰好をわたしはしていた。家の中は暑いくらいだとよく聞くが、北海道の人もこんな感じなのだろうか、そんなことを思いながら、側面を水滴がつたうコップを手にして、氷で薄まった水割りを飲んだ。もう一度時計を見ると、二時半になろうとしていた。わたしはソファから立ってキッチンまで歩くと、戸棚からボウルを、冷蔵庫から卵を三つと牛乳を取り出して調理台の上に並べた。コツコツ、と渇いた音がして調理台の角で卵が割れる。卵三つを塩と牛乳とあわせて、さっくりと混ぜる。携帯がなったような気がしてリビングに戻ったが、気のせいだった。大きな窓があるせいか、キッチンはリビングよりも少し寒くて、まだ濡れている髪が冷たくなっていくのを感じた。バターをひとかけら、フライパンの上に置いて、火にかける。香ばしい香りと音を立ててバターが溶ける。冷蔵庫にパルミジャーノ・レッジャーノがあったことを思い出して、一度火を止めた。その濃厚な風味の粉チーズをボウルのなかの卵液にパラパラと混ぜ入れる。好きだと、仕方がないのだろうか。好きだと、同居している恋人が夜遅くまで帰ってこなくても湯上がりに水割りを飲みながらオムレツを焼いてモヤモヤと考えたりしなければならないのは、仕方がないことなのだろうか。チーズが溶けて、ミルクを思わせる濃い香りを漂わせながらオムレツが焼けるのを、わたしはただただ眺めていた。(2018/01/09/02:09)