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雑記 13 / 好きな作品とは

接客をしていたら「で、あなたはどんな作品が好きなんですか?」と尋ねられた。難しい質問だ。そうですね、とひと呼吸おいてこんな風に答えた。

「作品が必要とする技術を習得した上で整えられた姿でありつつ、同時にその人だけの、その人でしかありえないようなどうしようもない何かが滲み出ている作品が好きです」

その人が求めていた答えかどうかは分からない。戸惑いの表情はあったと思う。なのでここで弁明する。

「作品が必要とする技術を習得」とは、上手いか下手かの話で言えば、上手い方が良いということだ。しかし、作ろうとする作品に必要なクオリティが達成されていればそれでいい。もちろん技術力が高ければ、シンプルなものを作ったとしても歴然とした差が出る。それでもまずはその作品が必要とするだけの技術が伴っており、作品の姿に説得力が感じられること。それが第一。

しかし上手いだけでは物足りない。単純に精密に整っているだけなら、機械に任せれば良い。
重要なのは、その人だけの、その人でしかありえない何かだ。その何かに対するある種のどうしようもなさが見たい。「個性」というカテゴリーとはちょっと違う。そのように明確に意識されて表現されたり、記述がしやすいものではなく、ましてや意識的に「これが自分の個性です」と言ってアピールしてくるポイントとは異なるレイヤーで、滲み出てきてしまう何か。おそらくその人が生きてきた中で身につけたり、生まれながらに染み付いてしまってる癖のようなもの、良くも悪くも、ただ単純に「整っている」だけでは済ませないような奇妙さとか違和感とか、そういうものを感じられた時に愛着を覚える。それは身体的なクセとして形に現れているのかもしれないし、あるいは思想的なものとして、作品にまとわりついてる匂いみたいなものかもしれない。直そうったって隠そうとしたって滲み出てしまうような何か。それが不恰好だったとしても、その作品存在と作者が根本的に繋がる何か。「オリジナリティ」の根っこの部分。それが備わっていること。小手先の技術や、デザイン的な意匠として作られた「個性」ではなくて、作者本人にすらどうしようもない衝動的な何かが見えれば、何の変哲もないものだって完璧に個性的になる。
世間一般的なものの良し悪しとか、美的価値観とは少し離れたところで個人的に愛する作品たちは、音楽であろうと絵画でも、あるいは陶芸であってもそういうものばかりだ。

ここまで書いて、もしかしたらその作者たちに失礼なこと、あるいは作者からしたら気持ち悪いことを言っているのかもしれないと気づいてしまった。100%、完璧な愛情とリスペクトを込めての話です。本当に。

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