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雑記 17 / まだカントを読んでいる

このところまとまった読書時間が確保できず、『判断力批判』をだらだらと読んでいる。正直これだけ読んでると脳が疲弊するし、読んだものに影響されやすくすぐ小難しいおじさんになってしまうので、楽なものと並行で読んでおり時間がかかっている。このnoteを始めた日に「カントを読んでる」という旨を書いた。その時点で『判断力批判』上巻の3分の2くらいだった気がする。
今は下巻の本編は終わり「第一序論」という版を重ねて削除されたテキストに差し掛かった。スローペース。サクサク読める本でもないし、サクサク読んでは意味がないので当然だけれども。

正直、要旨を理解するだけであれば「序論」と「第一序論」を副読本とともに読めば、というかカントを直接読まずともわかりやすい解説書はたくさんあるのでそちらを読んだ方が早い。
ではなぜ元のテキストで読むかと言えばカントの思考の型とか流れを知りたいからだ。「なぜこんなことを考えなければいけなかったのか」「どうしてこんな風に語っているのか」そういう部分を掴みたいからだ。何を祈り、何のために、そしてなぜそのような仕方でカント自身が問題だと考える対象と向き合ったのか。なぜカントにとってはそれが重要問題だったのか。
わかりやすい解説書では現代でも使える部分、他の理論に応用されたり、今後も有効となる可能性を孕む部分がピックアップされる。何せカントは生誕300年だ。現代では通じない話もたくさん書いている。しかし、その解説ではこぼれ落ちてしまうところに時代性とかカント自身の特殊な部分とかが転がっているはずだ。
本職の研究者なら原著で読んだ上でさらに徹底的にあらゆることを調べることになるけれど、そこまでの手間はお茶の間ファンには難しいところ。できるところまでやって考えるしかない。

判断力批判の要約なんて、それこそAIに頼めば結構な精度で一瞬で示してくれる。我々人類に必要なのは、それ以外の情報だ。そこにエンターテイメントがあり、人間性がある。その人間性に触れた上で物事を考えた方が僕は楽しい。
結局のところ、いつも通りの話、その人でしかあり得ない特殊な何かが好きなのだ。そこにしかない物語を読み取ることが楽しい。仕事でやっていることも、趣味で読んでいるものも同じアプローチをしているだけなのかもしれない。こんな読み方は研究者からしたら邪道なんだろうけども。そこからしか辿り着けない何かもある、はず。


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