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神秘の世界、世界の神秘

白白庵で開催中のツタンカーメン堂『神秘の世界展』は、「世界の神秘展」じゃないんだよな、と今さら噛み砕いて考えている。

ここで我々が見せつけられているものはツタンカーメン堂による「神秘の世界」であって、その意味では実は箱庭的な構造になっているのでは、と。
我々が日常的に生きているこの世界の神秘ではなく、ツタンカーメン堂が作り出す「世界」の神秘。それを手にして眺めて笑って楽しんでいる。

そもそもツタンカーメン堂自体が非常にコンセプチュアルな存在で(コンセプチュアルとかじゃなくて真実です、と怒られそうだけれども)、どこまでも本気で現実世界からちょっとだけズレた夢を見させてくれる。(全部真実です、って怒られそうだけれども)

ツタンカーメン堂がどんな組織なのかはこちらからどうぞ。

この時インタビューに応じてくださった陶磁器製造担当の方は、統括本部に許可を取っていなかったらしく、こってり絞られたとの噂もある。
そして初日に白白庵に現れた陶磁器担当の方はインタビューを受けた方とは別人で、製造担当者は三か月の期間契約でどんどん入れ替わっている、そして組織全体では五千人規模、とも言っていた。
どこまでが本当なんだろう。全てが真実かもしれない。

そう、ツタンカーメン堂の製品は神話とか伝承に信仰、都市伝説や陰謀論をモチーフとして縦横無尽に入り乱れている。我々の生きる現実世界では胡散臭いものとか冗談に思えるものでも、それを信じる人にとっては真実であり、ツタンカーメン堂の示す「世界」では全てが本当なんだろう。

その器の大きさには夢がある。インドのとんでもない神様とか、中国神話の驚くばかりの設定とか、妙な生き物や妖怪たち、日本の伝承などなど、今の我々にとっては「またまた」という話でも、その当時の人々にとっては真実だったかもしれないのだ。源氏物語に出てくるような生き霊というのは、当時の人々にとってはそういう事実として実際に認識されていただろうし、妖怪も神々もその時代特有の認識においては全部本当だったのではないか。全てはその時代の人間が抱く観念による認識能力の結果でしかないのだ。

ほんの3000年前までは人間に自我なんてなくて、右脳から聞こえる神々の声に従って生きていた、という説だってあるのだ。

人間の想像力は果てしなく、思い浮かべることのできることは全て事実となる可能性を持ちうる。それにひとつの形を与えるのが芸術という営みが可能にすることだ。

壮大なる「神秘の世界」を前にしているものだからなんだか大層なことを考えてしまった。

そんなことはさておき、店頭で手に取ってニヤニヤしながらお家に神秘を持ち帰るのが良いと思います。
きっとハッピーになれるし、世界の真実に近づけます。
ツタンカーメン堂はそれを望んでいるはずです。

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