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ナミビアの砂漠は夜やまた寝るか

昨日は終電で帰ってきたので疲れ気味。映画『ナミビアの砂漠』を見てきたのだが、実際に砂漠の水飲み場のライブ映像があるのだろうと思って探したらあった。

こういう映像に惹かれてしまう女性の映画だが、ラストにこのライブ映像が出て彼女も野生の生活に戻りたいのだなと理解できる。それは日本の都市があまりにも野生を見失い建前社会になっているのが痛々しいほどよくわかる映画なのだ。最初は単に面倒くさい女と思っていたのだが、女性のネガティブな生き方をしなければ生きていけない社会なのが通常に生活している者にはわからなくなっているのだ。例えば最初に友だちの友だちが自殺した話題でも何事もなかったように受け流すしかない毎日。そんな中で彼女はエステの仕事をし、それがインチキだと分かっているのに生活のためにしなければ豊かな生活が出来ない。彼女の求める豊かさはホストクラブで酒を飲んで自己を発散させるしかない。

男社会の当然さを見せるのは一緒に住んでいる男が出張でススキノに行ったら風俗に入って帰ってきた。それは今の社会で当然と受け入れられるのが我慢ならないので、出ていく。彼女と言えば、実は浮気をしていていてその男の家に転がり込む。

その彼氏の家族からパーティに誘われる。いいとこの坊っちゃんなのである。彼女はそこでも気を使い着る洋服から土産物まで気を使う。そうだススキノに行く男が土産物は何がいいと聞いてくることも、この社会の習慣としてあるどうでもいいことなのだ。多分、それは彼女に取って嬉しいものではなく、土産を買ってくる男の自己満足なのだ。そうした気を使っているようで、社会の習慣に馴染めない彼女だった。

家族パーティに行かなけれならない習慣はそこで嫁さんとしての適性を判断されるのだ。セレブの嫁として、母親の見定めとしての。そこでウチは帰国子女だから息子をインターナショナルに入れないことを後悔しているとかいい出す。その裏でやっていることはどうしようもないクズ男としてのあり方(彼が中絶させた過去が明らかになり、それをクリエイティブの仕事に利用していた)なのだが、それに気が付かない。そこそこ仕事が出来てそれもクリエティブなネット産業。その中でのすれ違い。それは家が仕事場であることによる境界のなさだった。彼女はいつも家では邪魔者なのだ。

一つには中絶させられる女というテーマがあると思う。それは当然のように二人の贅沢さを支えていく日本社会のあり方。隣の女と知り合うのだが、彼女が子供を産まずに滅びていく社会の中で自己を通すことについて焚き火の前で語る。今は焚き火も気楽に出来ない社会なのだと気付かされる。例えば家族パーティというバーベキューは何もかも用意されたものとしてあるのだ。

そうした不満が蓄積して彼女の精神はおかしくなっている。彼女が中国からの帰国子女というのもあるのかもしれない。母が日本人で父が中国人の商人のようだ。今の彼女とは逆の立場で母は苦労しているが、娘は豊かな生活をしていると思っている。そうしたプレッシャーの中で自己を保つことが出来ないで単に面倒くさい女となってしまう。普通に考えればそんな彼女と関係を断ち切ればいいだけの話なのだが。彼女の行動力や自由な気風に男たちが誘われる。

その中でスマホの砂漠の映像がただ一つ彼女の癒やしの場となっているのである。それは精神科に行って箱庭療法的なものなのかもしれない。最近この手の映画が多くなっているのに、それを女のワガママとしか見られない社会であり、そのことは今回の自民党総裁選と無関係には思えないのだ。

映画を見る前に図書館に行って、昨日借りてきた本を返却(一度読んだ本だった。)そして、また本を借り直す。そのくり返しの毎日だった。

借りたのは『討議 詩の現在』という批評的対談(討議)本。その中で近代詩から現代詩の辿ってきた道として、敗戦や学生運動の敗北の歴史があり、傷を負った者という気風が七十年代まであったのだが、八十年代はそれが見えなくなり何ゆえ傷を負っているのかがわからなくなっているという。

先ほどの『ナミビアの砂漠』のヒロインも傷を負っているのだがそれがなにかは理解しづらい。女の息苦しさ(女性監督ならなおさらそれをテーマとしていると思うのだが)の原因が見えにくくなってきているのが八十年代で、その傷は敗北という確かに体験したものしか理解できないものかもしれない。また八十年代は「喪の時代」(昭和の終焉)でもあり、そうした「喪」が明けた明るさが支配しているのだが、その社会の中でまた傷つかなければ者が出てくる。それは日本だけの問題でもなく、環境破壊という世界的テーマとしてあるのだが、解決できないで目を閉じるしかないのだった。

そんな癒やしを求めて映画を見たり読書したり音楽を聞いたりするのだろうか?「ウィークエンド・サンシャイン」の「トゥマニ・ジャバテ追悼特集」が良かった。

今日の一句。

ナミビアの砂漠は夜や目を覚ませ 宿仮

今日の一首は昨日57577で作った一首の改作。

始発待つマクドナルのふたり見る夢はコーヒー一杯に映る日の出 やどかり

今はマクドナルドの深夜営業はないらしい。昔はあったのだ。まあ、これもフィクションだが。


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