見出し画像

点滅の蛍光灯や木の葉髪

いまいち体調が優れない。キッチンの蛍光灯が点滅しているのに買ってくるのを忘れてしまった。これを歌会で詠めば良かった。俳句は作ったのだ。

点滅の蛍光灯や木の葉髪

オンライン歌会がありました。すっかり締め切り日を忘れてしまい(12月だと思っていた)慌ててこれまでの歌から一首作った。出来はあまり良くないな。対策はしっかりしたつもりなのに(毎日の「うたの日」)。歌会のメンバーは若い人が少なかった。そういう場所によって切り替える必要があるのか悩んでしまう。藤田湘子『20週俳句入門』では選者によって句風を変えては伸びないと書いてありますが、「どんまい」ばかりの毎日でもね。

ほんと人の評価を気にしてしまう。そういうのがないからnoteは楽ですね。スキを争うこともないので。たまにスキが100を超えている記事を見ると宣伝も大変だなと思ってしまう。なんだろう、ネット社会は自由に誰でも楽しめるという幻想があったのに、最近は金と時間がすべてものを言いみたいな世界になっている。

岡井隆『短歌の世界』を読んだ。以前読んだ『短歌入門』よりはソフト口調なエッセイ風。なんだろうこの差は。岩波新書だからなのか?カタカナや外来語の使い方まで指南している。俳句ではきっぱりカタカナはダメ出しされているのに。そういうルールは最近よくわからない。自由でいいんじゃないかと。

田中克彦『ことばと国家』はそんな人に強い味方の本です。元来言葉は母から子供へ伝えられるもので、それを母語という。それは文法とか訛とか関係ないのす。それを国家が正しい標準語などに強制するから母国語なんて言われるようになる。日本は島国だからいいですが、大陸である国では様々な言語が母語として話されている。それが民族というものを形作っていく中で公用語という中央が支配する言葉が母国語なのだ。母語と母国語はそうした違いがある。

そして母国語は筆記する為の公用語(法律関係とか)あるので変化していくのは好まない。しかし言葉は生きているから変化していくのは当然のなりゆきなんです。それを文法という縛りをするのはラテン語の影響とか。

ヨーロッパでは筆記はラテン語でそれが様々な母語の上に支配者の言葉としてあった。ラテン語で書けるのがエリートで権力側の言語だった。日本の古代も漢語が必須だったのと同じです。元来ひらがなは女子供の使う言葉でした。それが女官の間でひらがなの物語や和歌が広がって文学の世界がかわっていった。しかし相変わらず権力階級は漢語を使っていた。それが大きく変わるのが明治維新で、そのとき国語を制定する。権力基盤がヨーロッパの方向を見ていたのでこのときに日本語も変わっていく。文学ではヨーロッパ文学の影響をうけて文語から言文一致の口語スタイルになる。厳密な口語ではなく、母国語という共通語を見出すのです。それは東京語だった。江戸弁とも違います。

文法は本来ラテン語のように死んで変わりようがない言語だから決められることが出来る。変化する言語は文法は決められない。例えばら抜き言葉とか、今は当然として使われています。それをけしからんというのは年って頭が固くなった年寄連中なのだ。彼等は自分たちが使っていた言語の変化を恐れるので固定化したいのです。

そして文語体というのも本来は平安時代の古文の言語なわけです。その乱れが短歌世界にもあって、それは明治期に外来語の影響を受けた与謝野晶子や石川啄木の表記が文語にもかかわらず翻訳調の影響を受けていたからです。その流行りが文語を変えていく。言葉は生ものですから文語といえども固定化は出来ないのです。

ここまでをまとめると文法というのはラテン語から来ているもので、死んだ言語だから固定化出来るということ。それは筆記の言語であったということ。それが日本では法律の言葉として、母国語が制定されたこと。本来は母語と母国語は違う。だからアイヌの人でも母国語は日本語になるのです。アイヌ語を母国語と言ってしまうのは、日本と別な国家が誕生することです。ヨーロッパではそのナショナリズムによる分断が起きている。それは無理に公用語で縛りつけた反作用なのです。フランスは自由な国のイメージですけど一番言語に対しては不自由なそうなんです。フランスの地方には様々な母語がある。それをパリ中心のフランス語を強制しているに過ぎない。例えば大学とか。国語教育というものはそういものです。

若者の言葉の乱れは日本の近代からあった。それは漱石の小説を読めば奇妙な当て字とかあるのでわかるはずです。漱石はそうして文語じゃない口語を広めた。それは権力じゃない新聞小説という役目でした。国家と新聞が対立関係にあったものが、国家主義という一元下されるのが全体主義ですね。その役割が大きいのが国語ということになる。

今日も長かった。言葉に関してですからいろいろ主張したくなります。

映画。『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』を観ました。言語から考えると面白いかもしれない。部族社会なんですよね。それをまとめ上げるのが歌と踊りだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?