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神無しでやっている

雨音で目覚めた。今日の最初のツイート。ツイート自由律というのはいいんだと思うが正気に戻ったときに道化なのかなと思う。

詩人が目覚める時だ
神なしでやってきた
くもり時々晴れ(パソコン表示)
パソコンも詩人だ
風呂場で包丁を研ぐ
雨降りに洗濯物を干す
スマホ充電中
雨男本領発揮
宝くじ下一桁の人生さ
神経痛天気予報より正確
ずぶ濡れて様になる女子高生
ふんどしの紐を緩める
「ロータリークラブ」を「ロリータクラブ」と空目

雨音で目覚めた
繰り返す1日


昨日の自由律を繋げてみた。勘違いしないで欲しいのは女子高生のあと、すぐにふんどしの紐を緩めたわけではない。部屋に入ってホッとして緩めたのだ。そしてパソコンを付けて「ロータリークラブ」と「ロリータクラブ」が空目になったのだ。そういう無意識的な欲望が無かったとは言わないが、意識的には制御できる大人だから。

そして、今日の最初が「雨音で目覚めた」となるのだ。詩人だと思うが道化も入っているな。

昨日は金子光晴の命日だったので、金子光晴、尾島庄太郎『イェイツの詩を読む』を少し読んだ。イェイツの詩を尾島庄太郎が逐語訳したのを金子光晴が詩人として詩の日本語に置き換える翻訳。翻訳詩よりもその過程で二人で対談をしているのが詩の解釈と詩の作り方のようなものを伺えて面白い。

イェイツの恋愛詩はアイルランド独立運動の女性活動家、モード・ゴンに捧げられている。イェイツは青年時代からたびたび求婚するのだが拒絶され続ける。それは彼女は行動的タイプなのに、イェイツは引きこもりタイプだったからだろう。それでもせっせと詩を彼女に贈りながら(その間に彼女は結婚をし、娘も生まれれる)独身を通すのだった。ふと自分は道化師か?と気がつくのだが詩は残っている。その情熱の愛の形だけは。さらに娘をも誘惑しようとするのだが(彼女はイェイツの秘書になっていたが)、まったく相手にされず奇妙なオジサンと思われていた。でも、そういう詩がいいのだ。

破れた夢
(略)
ま夜中の最後の鐘の音が消えていく。
一日じゅう私は同じ椅子で
まぼろしのイメージにとりとめもなく話しかけ、
夢から夢へ、詩から詩へとさまよっていました、
ぼんやりした記憶、ただその記憶だけにすぎないのですが。

金子光晴、尾島庄太郎『イェイツの詩を読む』

目崎徳衛『百人一首の作者たち』。電子書籍、再読。百人一首の作者たちの一部は旧勢力の貴族だった。藤原氏が台頭して没落していくのだが、後鳥羽院が武士の政権から天皇の世に戻そうとしたこと繋がっており、その過程で選ばれたのではないかと。そういう視点から見ると在原業平の放蕩も小野小町の夢も別の視点が見えてくるというような。二人の歌人は、目崎徳衛『在原業平・小野小町 (1970年) (日本詩人選〈6〉』に詳しいので、少し読んだ。

図書館に三冊返却。一冊は全然読んで無かったな。予約本中島京子『やさしい猫』はなんで予約したのかわからなくなっていたけど外国人労働者の話だった。NHK土曜ドラマで放映中だった。なんとなく覚えがあったのだ。それで気になっていたのか。

鶏のようにすぐ忘れる。あとで鶏の詩を書こう(前向きだ)。

あとバルザックの解説書は借りられていて予約だけした。みんな考えることは同じなんだな。

詩の雑誌『ねむらない樹vol.10』があったので借りる。こっちは若い人向けの短歌雑誌。なかなか付いていけないのだけど。笹井宏之が亡くなって15年も過ぎるのか?最近知った歌人だけど。ますます存在は大きくなっているのだろう?寺山修司が好きだなんて言ってられないな。

映画を観た。

『カキフライが無いななら来なかった』は、自由律の研究のため少し読んだ。というか語尾は現在形がいいみたいだ。なるべく余韻を残す感じか?過去形にしてしまうとそれきりだからか?

今日の一句は、すでにつぶやいていた。が過去形だった。それを現在形にする。

神無しでやっている

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