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シン・短歌レッス53

今日の一句

これはアヤメ。アイリスとも言う。

アヤメ湯で殺(あや)めてみたいヤクザもん

菖蒲湯をアヤメ湯に変えたら殺人事件だったという句でした。アイリスは「イリアス」という意味もあるようなので、ギリシア悲劇の戦争(菖蒲)で悲劇の女性が逆転に出るという句でもある。めちゃ、自作解説しているな。

日曜日(すでに月曜だが)はNHK短歌と俳句の日で投稿する日だった。相変わらず端にも棒に引っかからないのだが。端は箸だった。端っこの意味だと思っていたが正確には「箸にも棒にかからない」だった。で、箸(小さいもの)も棒(大きなもの)でも拾い上げることは出来ないという意味だという。じゃあ網だなと思うのは凡人か?

NHK俳句。夏井いつき「夏休み」、山田佳乃さん「日向水(ひなたみず)」。5/19まで。夏井いつき先生の回で季語が立つの説明として、その季語だから使える語があると言っていた。「こどもの日」だったら、「糞とかしと(尿)とか」。「夏休み」は自由研究か?これでは凡人だな。読書感想文。いい線かも。図書館か?

NHK短歌。 川野里子さん「海」、山崎聡子さん「職場でのこと」(テーマ)、5/22まで。川野里子先生は文語の力を語っていたので文語で勝負しようと思う。

塚本邦雄が選ぶ名歌

塚本邦雄『花月五百年』から、紫式部の娘、大弐三位の和歌。この歌は『千載集 秋下』の巻頭を飾る歌で大弐三位の絶唱。藤原俊成が大弐三位の歌詠みの資質を母紫式部より上と見て、取り上げたという。俊成といえば『源氏物型』の言葉。それは紫式部の物語は凄いが和歌はたいしたことはないと言いたかったというのだ。塚本邦雄の皮肉的な見解だが。
俊成もここではその鑑識眼を持ち上げている。

『花月五百年』から「二十一代集名歌 二百選」模範和歌十首

「花月五百年」は八代集の古今集や新古今の他に二十一代集までを通読した人は稀であるが、二十一代集の中にも優れた和歌があるという。だから、何?と思うのだが、暗に俺はそこまで読んでいる自慢かとも思う。別に八代集だが二十一代集だが過去の勅撰和歌集にしか過ぎない。そういう面倒なことだから『万葉集』こそ一番という人が現れたのだろうか?『万葉集』は二十一代集にも入ってない!

見ぬ世まで思ひ残さぬながめより昔に霞む春の曙   良経
思ひ出でば同じながめにかへるまで心に残れ春の曙  慈円

風雅和歌集

俊成が「良き持」とした共に秀歌であるとするのだが、八代集から漏れている。「春は曙」の題詠だと思うのだが、この二つは完璧に近い結合だという。良経の三・四句の転調とその絶妙な脈略。慈円の四句の命令形の気迫。

もの思へば心の春も知らぬ身になに鶯の告げに来つらむ  建礼門院右京大夫
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき  西行
あたら夜の 四阿 ( まや ) のあまりにながむれば枕に曇る有明の月  後鳥羽院
匂ふより春は暮れゆく山吹の花こそ花の中につらけれ  藤原定家
五月山弓末振り立てともす火に鹿やはかなくめをあはすらむ  崇徳院
白玉か何ぞ人の問ひし時露とこたへて消なましものを  在原業平
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 紀友則

塚本邦雄『花月五百年』

塚本邦雄のお墨付き二百選ということらしい。よくわからんが、業平の歌は傑作だった。

山頭火の句

渡辺利夫『放哉と山頭火』の自由律。尾崎放哉は終わったので、今日は種田山頭火。尾崎放哉のイメージは違っていたが山頭火はどうだろう?

もりもりともりあがる雲へ歩む

山頭火の辞世の句なのだが、この明るさからは想像できないような悲惨な人生だった。尾崎放哉のアル中は自業自得のような気もしないではないが、山頭火は飲まずにはやっていけない程、人生の悲惨さだった。それが定住を拒み、放浪の俳人として旅を続けた。

それは死地を求めてと言っていいかもしれない。

いつまでも死ねないからだの爪をきる

放哉も山頭火も死地を求めていたが放哉が小豆島にたどり着いたのは偶然の産物だが、恵まれていたと思うのだ。山頭火は、死地を求めながらもそれは特定の場所ではなかったよううに思える。野垂れ死にが相応しいと思っていたようだ。面白いのは放哉の死地である小豆島にも参じているのだが、やはりそこから旅立たねばならなかったのである。

いろいろと死地を訪ねているのだが、ようやく落ち着けた場所は句友のいる松山だった。そこで「一草庵」という終の住処を得たのだが、また放浪の旅に出て帰宅して臨終を迎える。

おちついて死ねそうな草枯るる

この旅死の旅であらうほほけたんぽぽ

山頭火の尊敬する放浪の俳人・井上井月がいた。その井月の辞世の句に対してだろうか?

何処やらに鶴の声聞く霞かな  井月

井月の墓参りの後に放哉の墓参りで山頭火が詠んだ句。

ふたたびここに雑草供えて

山頭火が放哉を尊敬していたのは人よりもその自由律の俳句だろう。同じアル中というのもあったかもしれない。ただ山頭火は自虐的な酒だったような。その結果牢屋に入れられたり人に迷惑をかけるのは同じなんだが、放哉はいいかげんにしろというのがあるが、山頭火は許せてしまうのはなんでだろう?

うしろすがたのしぐれていくか

山頭火の友達も淋しい人が多くて、酒飲み友達であった国森樹明が山口市に「其中庵」と名付けて山頭火はそこで暮らす。そして国森樹明が娘を失明から自暴自棄になると山頭火も縊死した弟を思い出して、酒を酌み交わすのであった。

山頭火は母が自殺、その後に兄弟が次々に亡くなって、最後に弟が縊死したのだ。放哉の「咳をしても一人」に和して。

鴉啼いてわたしも一人

山頭火の定住できなさは近親者の死者が多く、心を病んでいたように思える。父が決めた縁談も家庭人にはなれない性格だった。この奥さんがいい人なんだが、山頭火はどうすること出来なかった。ちなみに奥さんを蝶に喩えていたとか。

大きな蝶を殺したり真夜中

死地を求めて漂流の旅に出たのだ。

分け入っても分け入っても青い山

映画短歌

『The Son/息子』

家族より自由に生きて
歩みたる
分け入っても父にはなれず

「分け入っても」は、ちょっとエロです。

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