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見つめてるビニール傘の雨水かな

アカデミー賞だったのか。作品賞を含め主要部門が『オッペンハイマー』だったとか。ロバート・ダウニー・Jrがキー・ホイ・クァンを無視してアジア人蔑視だとか(この変換も鯵愛人とかミスっていた)。アカデミー賞はアメリカの映画産業の賞であるからそれほど気にはしてないけど『オッペンハイマー』は原爆の映画だけに観てみたいというのは正直なところだった。それがアジア人(日本人)蔑視であってもだいたい原爆は戦争を止める為にというより、ソ連に対しての示威行動としてアメリカの威厳を伝えたかったという。アメリカは次の戦争を考えていたわけだった。

ただ『オッペンハイマー』という原爆製造に関わった博士は開発という事以外に目が行かなかったとか。それと対比になるような映画が『関心領域』で無関心がアウシュヴィッツな民族虐殺を引き起こし、その監督がイスラエルのガザのジェノサイドについて発言したとか。

そんなニュースよりも日本では日本作品が受賞することの方がニュースになるのである。まさに「関心領域」の差ではないか?『ゴジラ-1.0』の視覚効果部門受賞!!でアジア人の快挙だとか、アメリカの制作費に比べて日本の低予算が話題になったとか(はっきり言ってそれは褒められたことじゃないのは、宮崎駿監督が日本の映画政策に対して国の無関心ぶりを話題にした。また日本の経済低迷で円の価値がドルより下がっているので、低予算だった
わけだが、それでもその低予算で泣いている者も大勢いるという現実を理解してない)。宮崎駿監督の受賞も今更という感じだが、功労賞的なものがあったのかもしれない。

私が一押しの『落下の方程式』は脚本賞だったのだが、主要部門でも脚本賞を取る映画はそれなりに映画は面白いので良かったかな。ただ主演女優賞はエマ・ストーンだったけど。エマ・ストーンも演技よりはその裸みたいな、女優は裸になってベッドシーンを演じるとプロ根性とか言われるが、日本の女優はそういう部分では昔に比べてプロ根性も無くなってきたのかと思うが。

アカデミー賞はそのぐらいだが、随分書いているな。昨日は日本アカデミー賞に関係があるのか?『52ヘルツのクジラたち』を観てきた。主演女優賞に主演の杉咲花がノミネートされていたけど受賞したのは、安藤サクラの『怪物』だった。安藤サクラも上手い役者だとは思うが『怪物』がそれほどだったのかと思うとそうでもなかったと思う。そういうもんだよな。

キネマ旬報の映画賞の方が私の趣味に近いかな。作品賞は『月』の方が良かったが、あとはそんなところか。岸井ゆきのはどうしてアカデミー賞にノミネートもされないのだろうか?

映画は国威発揚のプロパガンダというのもあるからお先真っ暗よりも希望というこの国のファンタジーを植え付ける方がいいとするのだろうか?そういう社会が今の社会を作っていると思うのだが、まさに関心領域の狭さというか自分以外のことは考えられない。そんな映画も楽しめればインドの国策映画でも、大音量で歌って踊ってという『RRR』が日本でもヒットするのであろうか?

葛西亮平『『RRR』で知るインド近現代史』を読む。ガンジーの無抵抗主義が削除された映画なのだが、日本では大絶賛で疑問に思うのだが、そういう意見は少なかった。

今日は映画の話題ばかりだった。今日の一句。

見つめてるビニール傘の雨水かな

ビニール傘をさして見える情景は違うということに気がついた。一応写生句で基本に忠実に作っているのかな。詠嘆は良くないと思いながら。

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