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陶酔の中で目覚める「闇の奥」とは?

『闇の奥 』コンラッド,ジョゼフ【著】黒原 敏行【訳】(光文社古典新訳文庫 )

内容説明
船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出た。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。

アフリカ・コンゴの地図の空白地帯(白地のところだがやがてヨーロッパで黒く塗られると書いていた)に憧れて語り手のマーロウが叔母のコネで船長になる。そこでコンゴ川の奥地に商社の支店で象牙ブローカーをしているクルツという男を尋ねていく。クルツは会社にとっては問題児だが密林の帝王として君臨する。前任者の船長は原住民とのトラブルで死亡。クルツを崇拝者である25歳の船長は探検家的な純真さでいられる。マーロウはその裏にある社会を知っている。クルツの死を報告しに行った婚約者の賛歌もマーロウは否定出来ない。

でもマーロウはクルツの臨終の言葉を聞いていた。臨終のクルツが発した臨終の言葉は「恐ろしい!恐ろしい!」(中野訳では「地獄だ!地獄だ!」)。人間に対しての自然の脅威なのか。マーロウはクルツの弱さにも触れていた。マーロウの語りが全てで小説の前半はクルツと出会うことはない。クルツの噂の中での川下り。航海小説としては『白鯨』に似ている。語り手のマーロウとイシュメル、クルツはエイハブ船長か白鯨。「白鯨」的な自然の猛威がアフリカの密林で魔境ということなのだが。その魔境に魅せられた英雄か狂人か?

T.S.エリオットの「虚ろな死」が『闇の奥』のクルツに捧げらた詩で、それを元に村上春樹の「海辺のカフカ」でも言及されているとか。コンラッドの『闇の奥』は本文もそうだけどいろいろな文学と繋がる「文学の奥」が面白い。漱石もコンラッドに触れた一文がある。主客が転倒した小説。自然が主でそれに従属している人間。人情小説に対して自然情緒小説と言っている。大岡昇平『野火』も『闇の奥』に倣ったのかも。芥川『藪の中』とか。
2017/10/03

サイード『文化と帝国主義』で最初に取り上げられるのがコンラッド『闇の奥』だった。コンラッドは酔いの中にいる白人植民者たちに対して目覚めた人であるマーロウを語り手に添えた。ただ映画『地獄の黙示録』では再び陶酔の中にいる彷徨い人であるウィラード大尉だ。

一連の「愚か者の船」という寓話的な物語が西欧にはあるようなのだが歌にもよく歌われるテーマだと先日「ウィークエンド・サンシャイン」でやっていたのを思い出した。


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