シン・現代詩レッスン5
今日は石垣りんを読んだので総仕上げだ。
伊藤比呂美の解説で石垣りんは最初の二行が素晴らしくラストの二行が決まっているということだった。掴みは驚きの言葉で、言いたいことは最後までいわずに置く、ということかな。そのへんを注意しながら今日は見ていこう。
平沢貞通という固有名と帝銀事件という事件は、もっとも詩になりにくいテーマだと思う。そのことにまず驚く。だれが興味を持つのだろうと。こんなテーマの詩に興味を持つのは、松本清張ファンぐらいではないか?
事件から二十六年後という。事件が起きたのが1948年(昭和23年)だから1974年(昭和49年)でほとんどの人は興味を失っている事件なのである。
この中で詩的な感じがするのは「ケムリ」という言葉だろうか?タイトルの「ケムリの道」はそれだけ見るならば十分魅力的かもしれない。この詩が一篇の「ケムリの道」ならば、それは十分現代詩になりうると少なくとも石垣りんは考えたのではないだろうか?
発出は『ユリイカ』(1975.2)だった。十分読まれない現代詩を読む人がいたのかもしれない。人が書かない詩を書く。それだけで十分現代詩的である。まず出だしに誰もが驚くだろう。ネットは凄い。その号のユリイカが出ていた。
伊藤比呂美の説ではラストの二行が重要だという。
石垣りんが追求していたテーマである国家と家の間にいつ消えるかもしれないケムリの道があるというのである。そういえば石垣りんは銀行に勤務していたのだ。それが自分であってもおかしくはないと感じたのもしれない。それで松本清張の『小説 帝銀事件』を読んで感動を忘れずに詩を書いてみたのかもしれない。それがケムリと消える前に。
かなりパンクな詩になった。いまどき原爆詩はないだろう。
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