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シン・現代詩レッスン5

今日は石垣りんを読んだので総仕上げだ。

伊藤比呂美の解説で石垣りんは最初の二行が素晴らしくラストの二行が決まっているということだった。掴みは驚きの言葉で、言いたいことは最後までいわずに置く、ということかな。そのへんを注意しながら今日は見ていこう。

ケムリの道  石垣りん

服役者平沢貞通は
帝銀事件犯人としてあつかわれてきた。
逮捕後二十六年
もしかしたら平沢氏はほんとうの犯人ではないのではないか、
ろいう人々の思いが
ケムリのように世間に立ち昇った。
八十二歳の平沢氏は病篤く
担架に乗せられ
東北大附属病院まで送られて行った。
そしてまた宮城刑務所というところへかえされて行った。
ケムリのような道は大通りで
平常大ぜいの市民のかよう道である。
両側に国家という家がたち並ぶ間で
いつ消えるかもしれないのである。

平沢貞通という固有名と帝銀事件という事件は、もっとも詩になりにくいテーマだと思う。そのことにまず驚く。だれが興味を持つのだろうと。こんなテーマの詩に興味を持つのは、松本清張ファンぐらいではないか?

事件から二十六年後という。事件が起きたのが1948年(昭和23年)だから1974年(昭和49年)でほとんどの人は興味を失っている事件なのである。

この中で詩的な感じがするのは「ケムリ」という言葉だろうか?タイトルの「ケムリの道」はそれだけ見るならば十分魅力的かもしれない。この詩が一篇の「ケムリの道」ならば、それは十分現代詩になりうると少なくとも石垣りんは考えたのではないだろうか?

発出は『ユリイカ』(1975.2)だった。十分読まれない現代詩を読む人がいたのかもしれない。人が書かない詩を書く。それだけで十分現代詩的である。まず出だしに誰もが驚くだろう。ネットは凄い。その号のユリイカが出ていた。

伊藤比呂美の説ではラストの二行が重要だという。

両側に国家という家がたち並ぶ間で
いつ消えるかもしれないのである。

石垣りんが追求していたテーマである国家と家の間にいつ消えるかもしれないケムリの道があるというのである。そういえば石垣りんは銀行に勤務していたのだ。それが自分であってもおかしくはないと感じたのもしれない。それで松本清張の『小説 帝銀事件』を読んで感動を忘れずに詩を書いてみたのかもしれない。それがケムリと消える前に。

黒い霧  宿仮

松本清張は『日本の黒い霧』を書いた。
陰謀渦巻く日本政府とGHQ
そんな事件は忘れしまった。
「黒い霧事件」と言えば野球賭博だった。
今も騒がれる野球賭博は大谷翔平の危機であるかもしれない。
しかし3年もすればみな忘れるだろう。3ヶ月かもしれない。
そういう黒い霧が立ちこめている。
大谷翔平の無実を祈るファンたち、
松本清張の本を読もう。
日本は黒い霧が立ちこめている。
それが現実だとして
みんな黒い霧よりもホームランを夢見る。
逆転満塁ホームラン!
そうそうあるわけではない
黒い霧は年がら年中!
アメリカと日本の間に黒い霧、
原爆が落とされ戦争は終わった。
そのときからの黒い霧。

かなりパンクな詩になった。いまどき原爆詩はないだろう。



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