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拾った十字架は素直に返しましょう。へんな神が憑いてくるかも。

『ペトルーニャに祝福を』(北マケドニア、フランス、ベルギー、クロアチア、スロヴェニア/2019)監督テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ 出演ゾリツァ・ヌシェヴァラビナ・ミテフスカ

解説/あらすじ
この作品は、北マケドニアの小さな街、シュティプを舞台に、女人禁制の伝統儀式に思いがけず参加してしまった1人の女性が巻き込まれる騒動を描く物語。32歳のペトルーニャは、美人でもなく、体型は太め、恋人もいない。大学で学んだのに仕事はウィトレスのバイトだけ。主義を曲げて臨んだ面接でもセクハラに遭った上に不採用となった彼女は、帰り道に地元の伝統儀式に遭遇する。それは、司祭が川に投げ入れた十字架を男たちが追いかけ、手に入れた者には幸せが訪れると言われるもの。ペトルーニャは思わず川に飛び込むと、その“幸せの十字架”を手に入れる。しかし男たちは「女が取るのは禁止だ!」と男たちから猛反発を受け、さらには教会や警察を巻き込んでの大騒動に発展していく…。

マケドニアの映画っていうのが珍しい上に女性監督だった。バルカン半島の危険地帯のいかにもという街である。そこでこのような映画を作ったことだけで拍手を送りたいのだが、なかなかどうして面白かった。喜劇だけどちょっと怖いような、いまあるレイシズムの問題も絡んでくる。そこを軽々と笑い(カフカ的というのかガス抜きの笑いではない)で包んでう~んとなってしまう。

題名にもあるようにペトルーニャという名前の女性、彼女だけなのだ、名前で呼ばれるの。他は役割であったり職業であったり、組織の中での立ち位置での振る舞い。ペトルーニャだけが個人としての意見を持つのだが、不条理さに巻き込まれる(巻き込んでしまったのか?)。彼女の存在だけで革命的だった。

無職の三十路過ぎの女性が職探しになんとなく疲れてキリスト教(マケドニア正教かな?)の男祭りで司祭が投げる十字架を拾い上げたことから騒動に。ペトルーニャは特別な意思があったわけではなく無意識的に十字架を拾ってしまったのだが、男たちが大騒ぎをし警察に逮捕される。

男たちは無論のこと女でも母親との諍いがあったり(子供時代からの母親のおせっかいが爆発する。ここで文句をいう筋合いでもないんだが)、TV局の女性リポーターも個人としてではなく、特ダネ(それも女性問題だからフェミの血が騒ぐ)のためにペトルーニャを追いかけ回す。

女性リポータと部下だろうカメラマンのやり取りや家に電話して夫に子供を迎えに行ってくれないか、ということで喧嘩になったり。カメラマンはそれほどの事件とも思えなく早く帰りたいのだ。女性リポーターも個人としての行動ではなく職業的な行為に思える。バリバリに働くキャリアウーマンというような。その対極にいるのが無職でさしたる考えもなく(幸福になりたかったという願いから)十字架を取ってしまったペトルーニャが十字架を背負うことになる。

そのうちに男のレイシストが大勢で警察の前に集まってきて大事になってしまう。警察も最初は社会的な慣習を無視したペトルーニャを犯罪者扱いしていたが、集団暴力事件に発展しつつある中で早く穏便にことを済ませたい。検事も出てきたが余計に意固地になるペトルーニャだった。むしろ検事が出てきたことにより問題が明確になってきたような。ペトルーニャも個人として当然のことを主張する。

警察の尋問にも負けず、司祭の言葉にも負けず、レイシストの暴言にも屈せず、いつしか若者警官の同情を得たりして、そこで恋に落ちたり。母親とも立場は違えど和解のハグをして、十字架は結局、無神論のペトルーニャには必要ないものだとわかって司祭に返すのだ。そして恋の予感を感じながらハッピーエンドで終わる。そんなんでいいんかい!まあ、人生ってこんなもんかもしれない。

ただペトルーニャは家族にも組織にも屈せず自分の意見を通した。フェミニズムの立場でもない。個人の立場で。ペトルーニャの戦いはこれからも続きそうだし。


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