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『塩を食う女たち』はオリュウノオバだった

『塩を食う女たち―聞書・北米の黒人女性 』藤本和子(岩波現代文庫– 2018)

アフリカから連れてこられた黒人女性たちは、いかにして狂気に満ちたアメリカ社会を生き延びてきたのか。公民権運動が一段落した1980年代に、日本からアメリカに移り住んだ著者が、多くの普通の女性たちと語り合った中から紡ぎだした、女たちの歴史的体験、記憶、そして生きるための力。

北米とあるが、北アメリカの南部の黒人女性のコミュニティの聞き書き。聞き書きとスタイルは、同じ南部作家(それを超えて世界文学だけど)フォークナー『アブサロム・アブサロム!』でも青年が叔母さんに聞いた話のスタイルだった。日本でも中上健次のオリュウノオバ。それは霊が憑依する巫女のスタイルで、彼女たちがブードゥーについて語るのもそう遠い話ではない。

例えばニーナ・シモンはブードゥーの曲を書いている。巫女的な役割で憑依して霊を呼び覚ます。ベテランの助産婦を訪ねたのも彼女が魂を取り出す仕事であるかのように思える。オリュウノオバがまさに助産婦だった。そして葬儀の送り人でもある。生まれてくる者と死んでしまった者が回帰するのだ。それは西欧的な直線的な時間ではなく円環。

黒人奴隷のコミュニティの場としての知恵の伝承の場。それは現代では学校と呼ばれるものだが、黒人のコミュニティとしての学校は人生を学ぶ場。例えばブレディみかこも託児所のコミュニティで学んだとか。母とも先生ともオバともいえる存在。

白人の母と子の一対一関係ではない多数の子供たちとその面倒を見る女性たち。それは母にならなくとも年上の姉であったり、働きに出る母代わりの者たちだ。そういえばそれは美容院だったり小売店だったりする場合もある。彼女らの情報源。それがネットがない時代のコミュニティだった。地域が母代わりのコミュニティ機能を持っている。

「ブラック・パワー」がその絆を断ち切ってしまったという南部の黒人婦人の話は、ちょっと驚きだった。それは仕方がないことなのだろう。都会の黒人がそうしたコミュニティを長い間持てずにいたのだ。アメリカ北部の黒人の孤立感。それがブラック・パンサーに繋がった。

南部の黒人のほうが奴隷制度はあったが、その中で白人とは家族的な関係があったと。そこには悪い白人も良い白人もいる。同じように悪い黒人もいれば良い黒人もいる。だから「塩」の意味を考える。過去の苦労話が薬となって今の人を癒やす。毒草も煎じ方ひとつで薬になる。しかし、その技を知るものは現代の医者ではない。それは現代では詩人の役目なんだ。広い意味での。

関連書籍『ブルースだってただの歌』藤本和子


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