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串刺して街に泳ぐ 鯉のぼり

伊勢佐木町の商店街に鯉のぼりが続く。今はこういう形が多い。柱に鯉のぼりを吊るすというパターンはあまり都会では見られなくなっている。マンションのベランダに小さいものとか幼稚園ぐらいだろうか。川辺に自治体が鯉のぼりを泳がすのはどこも似たようなことをやっている。それが発展したのがこうした商店街の鯉のぼりか?今日の一句。

わが街に串刺しで泳ぐ鯉のぼり  宿仮

字余り。多行俳句にするんだった。

街に
串刺して
泳ぐ

鯉のぼり

「わが」はいらないな。一行空白はいろいろな想像を掻き立てる手法。

船焼き捨てし
船長は

泳ぐかな  高柳重信

これがモデルだった。

串刺して
死に泳ぐ

鯉のぼり  宿仮

こっちだな。短歌を忘れていた。これは短歌の方がいいのかもしれない。

串刺して
死後を泳ぐか
鯉のぼり
街をさまよひ
川をさまよひ

昨日は図書館で返却本4冊にまた借入本4冊だった。宮沢賢治『春と修羅』を電子書籍で。これは「心象スケッチ」という形で、宮沢賢治が手帳とシャープペンシルを首からぶら下げて、日記のように書いていた詩集の草稿のようなものだが、そこに妹の死や自身の恋愛(同性愛)やらの複雑な感情を賢治の中にある宗教的な葛藤を複雑な哲学的な世界観に昇華させ詩にしたものだった。中原中也が古本屋で何冊も買い友達に配ったとか。詩の原型みたいな手法的なものが分かるのかな。そんな入沢康夫『詩にかかわる』という本を借りたのだが、すでに読んでいたではないか?

「可能性として宮沢賢治」を上げているのは『春と修羅』のことだった。現代詩をやる人は必読書かもしれない。

他に町田康『ゲキチチ1』と『2』を借りた。読めればいいんだけど、最近『平家物語』も読みたいと思うようになったので、その前フリとして。

船戸与一『蝦夷地別件〈上〉』を100p.ぐらい。これは『琉球処分』という本に似ているかも。

映画『すべて、至るところにある』を見た。インディーズ映画。メジャーなエンタメではないかな、映画専門学校の学生が観るような映画か?面白いと言えば面白いんだけど。

そんな感じで今日は「シン・現代詩レッスン」をやっていこう。それから図書館へ。今日は町田図書館も祭日なんで開いていた。映画はポイントがたまっているからそれで見よう。


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