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翼の折れたエンジェルは片脚の取れた蟋蟀だった

『左川ちか詩集』川崎賢子 (編集) (岩波文庫 緑232-1)

左川ちか(1911-36)は昭和初期のモダニズムを駆け抜けた女性詩人。日本近代詩の隠された奇蹟とされた。「緑」「植物」「太陽」「海」から喚起する奔放自在なイメージ、「生」「性」「死」をめぐる意識は、清新で全く独自の詩として結実した。爽快な言葉のキーセンテンスは、読む者を捉えて離さない。初の文庫化。

左川ちかの詩集が岩波文庫で読めるようになっていた。単行本の詩集は高価なので、千円以下で買えるのは大きい。ただ左川ちかの純粋な詩集であって翻訳詩が掲載されてないのは残念である。

詩集を読むのは詩人の言葉からイメージを得ればいいのだが、昭和の初めのモダニズムの時代から戦時を生きた(生きれなかった)詩人は翻訳という外国語と格闘しながら自己を変革していく。言葉が生成してゆくそのダイナミズムの中に自由とモダンを感じていたのかもしれない。しかし戦争というより病が彼女の短い生を奪ったのだった。

さまざまな作家が彼女の詩を愛唱していたと知る。その筆頭が富岡多恵子であろうか。彼女が注目した「海の捨子」。そして日本の現代詩に痕跡を残してゆくのだ(詩人では吉岡実、黒田三郎、白石かずこが注目したとある)

歌人の塚本邦雄は「生きながら屍毒(プトマイン)に満ちた」と評していた。

そしてその詩は忘却させられたが海外での評価で蘇ったという。言葉の力。器官なき身体としての言葉。リゾームという生成変化だろうか?

昆虫

昆虫が電流のやうな速度で繁殖した。
地殻の腫物をなめつくした。

『左川ちか詩集「昆虫」』

昆虫の生成。突然繁殖してくる昆虫と言えばカメムシを想像するけど。次章の「地殻の腫物」でニキビのようなものを言っているのかと。顔中に昆虫が皮膚(鱗と書いている)のように繁殖したら恐ろしいだろう。

顔反面を塗りつぶしたこの秘密をたれもしつてはゐないのだ。
夜は、盗まれた表情を自由に廻転さす痣のある女を有頂天にする。

『左川ちか詩集「昆虫」』

解説ではこの非感情的な生成は、サイボーグのようであるという。身体性の中に巣食う異物の増殖は、なるほどギブソン『ニューロマンサー』の電脳空間のようでもある。最初の「電流」が意識化に潜むウィルスのようなものかもしれない。それは都市を覆っていくモダニズムの速度だという。「都会の夜はおんなのやうに眠った」。都市群衆の意識であるという。

緑の焔
最初の散文詩。1931年だから、ジョイスの翻訳詩『室楽』の前なのか?この頃からすでに言葉が増殖していくイメージ。それはジョイスの文学に近いかもしれない。緑の言葉が増殖していくのを散文(言葉)で表現していく。それは散文で拡散していくイメージの言葉なのだ。モダンな夢見(その前に舞踏会の詩があった)が蝸牛の歩みのように緑を塗りつぶすと表現する。夢見るのは盲目の少女だ。ただ彼女の脳内の中では緑の言葉が燃え盛っている。それを見せまいとする目隠しをする者がいる(検閲ということかもしれない)。

左川ちかの詩では「緑」がパワーワードとなっていた。緑は癒やしの色だけど当時の日本では塚本邦雄がいうように毒を含んでいるようなイメージだったかもしれない。グレート・カブキの毒霧のやうな。

青い馬
葛原妙子の短歌を連想した。

奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが纍々と子をもてりけり 葛原妙子

『橙黄』

左川ちかの詩から戦後の葛原妙子の短歌へと接続したのかもしれない。言葉が増殖するイメージ(幻視)が重なる。

死の髭
髭は戦時の官警を連想させる。「たずねてくる青服の空の看守」から検閲厳しかった頃だろう。左川ちかの緑は悪の匂いがするようだが、青はそれをまっさらにしてしまう緑を排除する色のような気がする。青髭のイメージか?

冬の肖像
散文詩で1932年4月とある。ジョイスの翻訳詩『室楽』が同じ年だから、それからヒントを得たのかもしれない。雪の風景の描写と死のメタファー(父の死。雪の下には死体が埋まっているというような)。国木田独歩『武蔵野』(1901年)が絵葉書てきではない内面を描いた風景小説の始まりとしたのが柄谷行人『日本近代文学の起源』として論じられていたのを想い出した。それに近いような気もするのだが。印象派のような文体か?

神秘
「冬の肖像」と同じ年の6月。ほとんど幻想詩になっていた。「黄金のデリシアス」とは何かと思ったら林檎だった。ゴルフ場のボールが林檎となって転がっているのだ。彼らというのは不明。妖精みたいなものか?ゴルフをしている人?

単純なる風景
行分け詩(韻文)と散文を同時に書いていたがこの二行連詩は左川ちかが様々な形式を試みたことがわかる。これは漢詩の影響だろうか?連歌と言ってもいいかもしれない。

暗い夏
散文詩。それまでの詩と違うのは日記のような断片的な手記で一人称の私が目が悪い様子を描いていた。外の眩しい光と暗い室内の対比。外に対する憧れが彼女を促して外につれだしたのだ。「ミドリという名の少年」。その少年はもういないのか?それで過去を思い出しているのか?「緑」が左川ちかのエネルギーになっていたのか?

前奏曲
9p.に渡って書かれた散文詩。私小説のプロローグのようだ。左川ちかが長生きしていたら小説を書いていたかもしれない。外から来る刺激(緑のメタファー)と内側の暗い情景(国内の状況だろうか?)絵画(空間)的なものから音楽(時間)的なものへの興味か?

三色の作文
国内が軍事色になっていく感じ。左川ちかはカタカナ語を多用するので、たぶん目を付けられていただろうな。

海の花嫁
のちの「海の捨て子」のプロトタイプか?外海の世界に憧れる花嫁という感じか。その航海は厳しいものなのだろう。帰る場所がない花嫁。『ピアノレッスン』の航海シーンを思い出す。

海の天使
「海の花嫁」と同じモチーフ。「揺籃はごんごん鳴つてゐる」「わたしは海へ捨てられた」

海の捨て子
富岡多恵子の批評で有名になったようだ。伊藤整「海の捨児」との関連性。伊藤整の詩は海が母の子守唄というような詩だが、左川ちかはそんなロマンチシズムはない。伊藤整に捨てられた詩というよりも(そういう見方があるようだ)、人に捨てられたと読む。例えば非国民というようなことかもしれない。これが最後の詩なのか。

百田宗治「詩集のあとに」
百田宗治は最初に左川ちかの詩集をまとめた人。このあとがきを読むと病気の状態がかなり進んでいて、詩を彼に託したという。足のもげた蟋蟀に喩えていた。それは翼の折れたエンジェルだったのか?

補遺は未稿の詩とエッセイが載っている。エッセイは詩とは逆に先行する女性としてのモダンガールさを伝えているような。今風の女性誌のエッセイっぽい。


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