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今年の大河ドラマに登場するのかな?

太宰治『右大臣実朝』

「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編小説。初出は「右大臣実朝」[錦城出版社、1943(昭和18)年]。12歳の頃から実朝に仕え、その没後出家したかつての近習「私」が、実朝の死から20年経った時点から、その人柄や後半生を回想しつつ語る作品。「私」によって明かされる実朝像が緊張感のある展開を生んでいる。

今年の大河ドラマが三谷幸喜『鎌倉殿の13人』とあって、太宰治『右大臣実朝』も参考にするのだろうか?と思って読んだのではではなく、たまたま今月は太宰月間にしようと思ったのだ。太宰治が文学好きになった作家だし、いろいろ太宰作品は読んでいたから。ただこの『右大臣実朝』も初読みだった。

その後に書かれた西鶴を元にした『新釈諸国噺』の方が饒舌体が冴えている。『右大臣実朝』は政治よりも和歌にうつつを抜かすトップを描いた作品で、それほど突飛なことが書かれているわけでもなかった。

太宰の歴史小説ということだが、戦時下で自由に表現出来ることも限られていたので歴史モノなのかと思った。実朝がふと口ずさむ言葉、

「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ」

は今にぴったしの言葉だと思ったが鋭いのはここだけだった。後は吾妻鏡に基づいて原文とそれを太宰風にアレンジした翻案小説なのだが、それほど突飛なことが書かれているわけでもない。

公家に近づいて和歌にうつつを抜かした右大臣実朝が関東との御家人(武士)との不満にさらされ、世は天変地異の時代に聖徳太子に憧れて和歌を作り続けて朝廷内で宴会を開いているという内容。その最中に鴨長明を呼んだり、藤原定家を大臣に付けたりして文人としての将軍の地位を確立した。

政治からは逃げ続け、最後は宋から来た客人に船を造らせたがそれも上手く行かずに不満を持った二代将軍の息子に暗殺される。

正岡子規が『歌詠みに与える書』で褒めた『金槐和歌集』の和歌を何事があっても泰然として和歌道に励む将軍様の姿として描いている。例えば大雨で大洪水が起きている最中に和歌を詠んでいるとか。

時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ

政治で実行するよりも和歌のような言霊の力を信じていたようでいて、何事も10年もやれば十分だと思って、宋に遊学に行きたいと言い出すお方なのだ。確かに面白いといえば面白い文人将軍である。実際にこんな人が政治をまかされていたら大変だろうが。ついでに藤原定家が大臣として呼ばれたが疫病の最中でも死体が臭いからと外に出なかったらしい。三谷幸喜ならそういうことを面白おかしくコメディにするのかもしれない。

太宰治『右大臣実朝』はドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン侯爵を描こうとしたのかもしれない。それは、あのお方..........。

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