見出し画像

当時のベストセラーに正岡子規が噛みついたわけ

『一年有半 』中江兆民 , 鶴ヶ谷 真一 (翻訳)(光文社古典新訳文庫)

喉頭がんで「余命一年半」の宣告を受けた兆民による闘病記、死に直面したからこそ語れる人性論という性格を併せ持つ、明治時代の大ベストセラーです。同時代の政治・経済・社会について歯に衣着せぬ批判を浴びせる「理念の人」兆民は、同時に、文化・芸能、ことに人形浄瑠璃への熱愛を示す「情の人」でもありました。「いかに死ぬべきか」を問う、現代人に贈る処方箋です!

正岡子規『『仰臥漫録 (ぎょうがまんろく)』で中江兆民『一年有半 』を批判していたので読んでみた。

正岡子規は、大御所に楯突いて自分の立場を鮮明にする困ったオジサンタイプなんで、この子規の批判は当たっていまい。自分の死期が近いことを売文にするなんて軽薄だという考えがあったようである。しかし、解説でも触れられているように、これは弟子の幸徳秋水に請われて発表したもので、秋水との話では死後にでも出してくれということだったのである。そして、ベストセラーになったものの印税契約はしてなく著作料だけの契約だったようである。

ただ解説で書かれてあるように、中江兆民が漢文調に書いたのは読まれることを意識した美文体なのだ(当時は漢文調の文語体が重んじられていた)。今読むと日記で、そのまま心情を発露した子規の病床日記の方が面白いと思う。それは素のままの子規の生活が書かれているからで、ここでの兆民は美文調で妻のことなどを描いている。自分の病気のために母や妹をこき使っていた子規とは大いに違う。無論、そのような愛情が兆民と妻の間にはあったのだろうけど。

またこの文章は、政治談義から文楽(趣味的なこと)や日常のエッセイなどの雑文である。その中に妻との会話を杜甫の漢詩に託して述べたり、中には「自殺論」まであった。

正岡子規が自殺をほのめかした直後にこの本の批判をしていることである。中江兆民の理想論が生にしがみつきたい子規の心情を害したのが伺われる。例えば中江兆民の売文家としての理想論に幻滅して自殺したという北村透谷などは切実な問題があったので理想論では語れない部分がある。

さらに子規の文学運動の俳句や短歌に対する理解のなさ、漢文がなにより西欧の翻訳を語るにも最も論理的で理想的な文体とするのも我慢ならなかったのかもしれない。

中江兆民はまず理想の哲学(ルソーの民権思想)があってそれに文章を従わせているのだ。自己の葛藤の中で悶ていた子規の浅はかだという批判は当たらずもかなと思う。それは哲学者と文学者の違いだろうか?

関連書籍

『三酔人経綸問答』中江兆民 (光文社古典新訳文庫)


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?