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一年後紅白の梅よりテレビ漬け

裏庭の紅白の梅が咲き誇っていた。今日は春気分だったけど引きこもって、録画したTVを観ていた。それまでケーブルTVの受信機が故障していて、あまりTV観てなかったのだが新しい機種に変えてもらって(なんかネットの動画サイトもみれるようになった)TV漬けです。今朝の一句

一年後紅白の梅よりテレビ漬け

ウクライナ侵攻から一年ということだけどわからないな。まあ、いろいろな一年後ということで

ちょうどロシアのウクライナ侵攻から一年ということでNHKの特集番組ばかりだった。その後に『サブカルチャー史』観た。そして、『進撃の巨人』総集編と。『進撃の巨人』はロシアと重なるな。壁が崩壊して、アメリカの欲望の資本主義が入ってくる。それに喰われて貧富の差が拡大する。巨人とは人間の欲望そのものじゃないかと。『サブカルチャー史』は壁が崩壊して東側が自由化経済になったが貧富の差が拡大したヨーロッパだった。その中で移民排斥運動などナショナリズムが起こり、敵対する人々が現れて、銃の社会となっていく。今の世界は武器で守ることで戦うことを容認していく社会なのだ。そこでまた戦争が起きて貧富の差が拡大してくる。どうしようもない負のスパイラルが起きている。

『進撃の巨人』は結局繋がりということなんだけど、仲間のために自己犠牲を強いるアニメだと思うのだ。それは戦争の論理そのもので、戦争を憎みながらも抜け出せないことになっている。ウクライナを見てみろという。でもその論理で原発は手を付けない。ウクライナが危険にさらされたのはチェルノブイリだったのだが。今は「チョルノービリ」と言った方がいいのか?キエフではなく「キーウ」。キウイと間違いそうになる。

読書。『地図と拳』は日帝時代の満州支配が舞台の物語だが、日本軍(関東軍)の中国(満州)侵略という歴史物語だった。今日はまだそれほど読めてない。

読書は『源氏物語』。これは源平の乱が始まるまでの平和な時代を描いた物語だが、女性はそうでもないというのが明らかになっていく。ほとんど家に取り囲まれた産む機械としての存在しかない。光源氏のセックスは自由主義だけど女性は家で待ち続ける。そして、母親という存在が問題として浮き上がってくる。

短歌雑誌。『ねむらない樹vol.8』。春の訪れと共に短歌や俳句を作りたいと思っているのだがなかなか出来ない。花はたくさん写真に撮っているのだが、言葉が出てこない。今日はNHK短歌と俳句にチャレンジの日だな。

NHK短歌吉川宏志「(テーマ)春の草、または自由」と岡野大嗣「(テーマ)待ち合わせ、または自由」、3/6(月)まで。

NHK俳句村上鞆彦「蝌蚪、または自由」と高野ムツオ「蝶、または自由、3/6(月)まで。

文芸選評「俳句」高野ムツオ「東日本大震災を詠む」2/27までと「短歌」木下龍也「嘘」3/27まで。

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