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正月の樹木祭だぜボンデージ

正月元旦。挨拶句からだよな。年賀状が来るのだが家族写真を送って来る人は家族がいなくなったときも送ってくるのだろうか?と考えてしまった。そういうことを想像すると悲しくなるな。家族が居ない年賀状。

「うたの日」ではお題が今年の抱負だった。そういうのも面倒な歳になった。

元旦もいつもと変わらず起きて朝風呂に入ったのだが、正月気分を出そうとワイン飲みながら落語のYou Tubeを聴いた。
古今亭志ん朝『大山詣り』。

これは最高に面白かった。「大山詣り」は江戸の集団観光というような。町内会の。そこで喧嘩ばかりする熊さん(だいたい乱暴者は熊さんなのがわかりやすい)を連れて行くのはどうだかという話になって、喧嘩をしない、したら坊主だと話を付けて行くのだが、大山詣りはさっさと終わる。なんかな道行の話があったのだが、あれは講談だったのか?

帰りの藤沢で旅館に泊まって一杯やってしまったところから落語の話が面白くなり、酔っ払って暴れた熊さんは坊主にされてしまうのだがその復讐をするという話。先に帰って大山詣りに行った亭主の妻をみんな尼さんにしてしまうという話。興味がある人は是非聴いてみて、初笑い確実だから。

風呂から上がり酔いが回って二度寝して、午後から映画を観に行く。
読書は、伊藤整『日本文壇史6 明治思潮の転換期』。ちょうど与謝野鉄幹と鳳晶子が出会うところから。鉄幹についてスキャンダラスの批評が出て、その中で『乱れ髪』が出版されベストセラーになったという話。モラルとか文壇からはそうとう批判されたわけだった。
 あと国木田独歩は政治家になろとしたのだった。それでも愛人の隠し子騒動とかあって政治家の道はあきらめたようでそれで文学の道かと。そんなもんだ。
志賀直哉は財閥系の息子で爺さんが鉱山を開いて、そこが足尾鉱山だったわけだ。公害問題となった時は人の手に渡っていたのだが、そのときの譲渡金が父の懐に入っていて、それで志賀直哉の反抗期となって揉めて文学の世界に行くのだった。後で和解するのは、そういうことだった。
森鴎外は小倉に左遷されて、年下の美人妻を貰うのだが鴎外はマザコン男で、東京に帰ったときに美人妻の我儘と母親の対立があって、悪妻ということになってしまう。ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』に繋がる話だった。その娘が森茉莉だったのか?彼女の本を読んでみたくなった。
この頃の文壇の注目株は高山樗牛。ニーチェとか読んで文芸批評していたのだ。論争好きで鴎外とも論争になっていた。

午後から映画。『そばかす』は今の日本の風潮に受ける映画なんだろうなと感じるも、否定的な意見。

映画館を出て日が暮れて街路樹にびっくりした。こういうのが美とされているのだ。人口美の醜さ。


樹木ボンテージだった。悲しいのはメタセコイアの樹もあったこと。メタセコイアは古代樹だから日本に植樹されているのは兄妹みたいな樹たちなのだ。横浜のメタセイアは虐待されていると感じてしまう。


ボンテージ以外の何ものでもないメタセコイア

桜木町のみなとみらいは哀しい街なのである。



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