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凩に負けない緑そよごの実
グーグル検索したらソヨゴと出た。風に揺れてそよぐ音がするからということだった。漢字で青冬。今の季節にぴったりの赤い実だと思うのだが、名前から初夏に白い花が詠まれたようだ。今日の一句。
凩に負けない緑そよごの実
外の風が強いので、思いつくままに。昨日は雨予報だったから引きこもり。読書もあっち手を出しこっち手をだし。結局、いつまでも読めない本は諦めて読んだところだけ感想をまとめればいいかなと。図書館での返却期限があるから、いつまでも借りているわけにもいかないので。そういう意味でnoteにとりあえず感想を上げているのだが、完全に備忘録だった。
そこから知識が不足している分次の読書に繋げればいいのである。読書は一冊の本に閉じられた世界ではなく、数多くの本に開かれて接続されているのだ。そう思うと途中で止めても継続していることになるのではないか?とりあえずマルクスはここで切り上げて、松本清張に繋げる。
あと気分転換に海外文学ベスト10もやってみた。やってみて昔読んだ本を再読しようとも思うので、これも良かったかな。再読する本があればあるほど老後の暇は潰せる。
noteの続け方みたいなライターの方の記事があって、最初のいいねの数が凄かったのだが、それが3年前で、一年前から更新されていない。どうしたnoteの続け方を指南していたんではないのか?そんなもんだよな。私はかれこれ3年以上はほぼ毎日更新しているが、別に続けたいからやっているまでのことだった。続け方みたいな意識するのはなんでだろう。ただ書けばいいだけじゃないか?日記でも書いておけというもんだ。日記も続かないのなら、最初からそういう才能がないのだから他のことを頑張るべきだ。頑張る必要もないんだけど。あれこれライター指南に惑わされず書きたいことを書けばいいだけの話。それで儲けようとか論外なんだよな。そういう記事が多いけど。書いていれば何かいいことがある。
まあ俳句作りには役立っているとは思う。最初の頃に比べて発想の仕方とかのテクニックは学んでいた。書くことも発想の仕方だから、毎日書いていれば自ずと記事は出来るものだがな。それを他人の評価に惑わされると続かないと思う。自己満足でしかないと思うのだが、世界はそういうものだろう。どこまで満足できるかという。その方法の一つに書くことがあるだけの話だった。そうやって何十年も生きてきたのだから。
サブカルチャー講座というNHKの番組を録画していたら、先日亡くなった山田太一のドラマに変わっていた。大原麗子が主婦役で出ていたな。昔からTVドラマで観ていたので懐かしい。全盛期は過ぎた頃だろうか?
サントリーのCMを思い出す。
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