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アダム・ドライバーは役を選べよ

『最後の決闘裁判』監督リドリー・スコット 出演ジョディ・カマー/マット・デイモン/アダム・ドライバー/ベン・アフレック

解説/あらすじ
中世フランス──騎⼠カルージュの妻マルグリットが、夫の旧友ル・グリに乱暴されたと訴えるが、彼は無実を主張し、⽬撃者もいない。真実の⾏⽅は、夫と被告による⽣死を賭けた“決闘裁判”に委ねられる。それは、神による絶対的な裁き──勝者は正義と栄光を⼿に⼊れ、敗者はたとえ決闘で命拾いしても罪⼈として死罪になる。そして、もしも夫が負ければ、マルグリットまでもが偽証の罪で⽕あぶりの刑を受けるのだ。果たして、裁かれるべきは誰なのか?

予告編を見て「ジャンヌ・ダルク裁判」の映画かと思い込み観に行ったら、中世の家庭不和劇だった。まあ、シェイクスピアだって家庭劇と言えないこともないのだが、豪華なセットやCGを使った大袈裟な映像だが描いていることはDV夫とヤリチン男の勢力争いに巻き込まれる美人妻というような内容。嫌な姑も出てくるので、家庭内不和がある人は見ないほうがいいかも。

監督がリドリー・スコットということを頭に入れておけば、だいたいそんなアクション映画。槍試合の決闘シーンが見どころなんだと思うが、ちょっとくどすぎる。普通一発勝負だろう。空振りでも二回目でどっちかが仕留めろよ、と思ってしまう。この手のアクションは、いつからこんな大袈裟になっているのだろう。ドラゴンボールじゃあるまいし。

あとアダムス・ドライバーはちゃんと台本を読んで断るべき役は断ろうよ。今までのイメージにマイナスとなる役で、ただのヤリチン男と化している。最初はいい奴なんだけど、やっぱレイプはいただけない。ただの欲望だけだもの。どこに愛があるんだ(これを愛とするリドリー・スコットの頭の中)。今どきそういうやり方は流行らない。

面白いの演出としては、黒澤監督『羅生門』を踏まえて事件が『藪の中』となって三人の視点によるストーリーになっている。しかし、あまり矛盾したこともなく、マット・デイモンは直情型の腕力男でアダムス・ドライバーは友情に厚くて頭がいいのだが、性慾には勝てない。一番駄目なところだった。ジョディ・カマーの美しい妻がただ美しいからいいみたいな。なんだろう、錯綜とするドラマに欠けるのだ。普通に女性蔑視の時代劇のドラマで、解決の仕方も現状維持で新しさもない。

『羅生門』では、三船敏郎の野蛮男は憎めないところがあったし、森雅之の力不足の武士も説得力があった。それと京マチ子の妖しい魅力、それが欲望なのか愛なのか考えさせるものがあった。ジョディ・カマーは正論だけの役でなんの葛藤もないんだよな。だから決闘が終わると元の生活に戻れる。だいたいフランスの映画なのに英語だから、そんなところにも腹が立つ。アメリカ映画の正義なんてたかが知れている。

アクション映画として映画館の大画面で見る楽しさだけはあるかも。最後のアダムス・ドライバーの悲惨なシーンとか。アダムス・ドライバーのファンの人は見に行かないほうがいい。ほとんど馬扱いだから。

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