『季語集 』坪内稔典(岩波新書)
坪内稔典『俳句発見』と一緒にサブテキストのつもりで借りた。坪内稔典版「折々のうた」というような季語エッセイ。とりあえず夏の項目だけ目を通した。稔典さんは季語を二物衝突でずらすということを主張しているので、俳句の用例はその好みが出ている。
「螢」だと、
正木ゆう子の俳句ではその闇は男かもと想像する。
また「睡蓮」で、
という俳句を作ったら抗議の手紙が殺到したとか。けっこうキスが好きなんだよな。そういう感情が詩的なのだと思うけど、戦中世代とかは不謹慎とかなってしまう。
もともと季語は大陸から入ってきて、『古今和歌集』や『源氏物語』で意識付けられたもので、日本人はもともと二季だったとか。そういえば最近の異常気象も四季ではなく二季になったとかネットニュースで見た。四季を意識するのも若者より年取ってからだという。
四季があるからというより四季をイメージするから植物や虫に出会ったりするような。二十四節気とか意識すると、言葉から感じるイメージで四季を感じることが出来る。立秋とか、言われると暑い中でも風が心地よい。
「雀海入りて蛤となる」という秋の季語からイメージを想像する。
実景ではなくイメージの句だろうか。
またカタカナ季語が意外性がある。「ブルーヘイズ」とか「リラ冷え」とか「ジューンドロップ」とか。意味を言われないと分からないかもしれない。調べて見てほしい。