俳句のガーデニング化
『俳句発見』坪内稔典
坪内稔典はいわゆる俳句業界(俳人協会のようなもの)に属さないので言いたいことを言うので、面白い。敵も多そうだけど共感することは多々あり。
最近は俳句のガーデニング化が顕著であり、それは結社の俳人やTVで活躍する俳人はゴルフのレッスン・プロのように俳句の上手い俳人を育てるが、その枠内にとどまる菊作り(桑原武夫の第二芸術論の喩え)には長けているが、「破格の俳句」は少ないという。それは俳句界の中の注目にしかすぎず、芭蕉や子規のような文学の改革者が出ない構造になっている(レッスンプロによるガーデニング俳句化)。
それは方法論の欠如であり、業界俳人を生み出した元凶が虚子にあるという。ちなみに坪内稔典は子規の弟子を自認しているのだが。虚子への反発が強いという。虚子の有季定型の花鳥諷詠だけが俳句ではないというような。季語を立てるというのが基本なのだが、稔典は季語をずらすということも言っている。その方法が二物衝突だという。それによって季語に揺さぶりをかけるとともに自己も季語によって影響されていく。それが俳句の座(場)であり和歌の「和する」という伝統から来ているのだが、子規が発句から独立させたことで俳諧から俳句へと独り立ちしたのである(明治のアイデンティティの中の文学運動か)。
例えば俳句全盛期の俳人たちはそれぞれ方法論があったという。
坪内稔典の俳句観は、柳田国男の
俳諧の「無限の新しさ」が芭蕉から子規を生んだという。そこに彼等の方法論があった。例えば「蕉風」は「不易流行」の革新性にあるという。子規の「写生」も革新性を求めたものだった。
そんな坪内稔典が現代俳人採点表について述べる章が面白い。新人俳人のランク付けなのだが、櫂未知子がトップで長谷川櫂が最下位だった。長谷川櫂の句は「美味しんぼ」の料理みたいだと評する。上手いんだけど印象に残らない。意外性がないのだという。例えばその座談会で注目された俳句は中田美子の第一句集『惑星』だという。それは今までの俳句のイメージを裏切るからで、そこに強烈な個性があるという。
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