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二葉亭四迷の迷い道が日本近代文学の始まり

『日本近代文学との戦い 』後藤明生・電子書籍コレクション (アーリーバード・ブックス)

◉日本近代小説は西欧文学との混血=分裂の産物である

彼等は書きたがるが、読みたがらない。読まずに書こうとする。そこで私は「千円札文学論」を学生たちに繰返し吹き込んでいる。すなわち、千円札の表は夏目漱石である。漱石は大文豪である。しかし漱石がいかに大文豪であっても、表側だけでは贋千円札である。電車の切符一枚買うことは出来ない。本物には表と裏が必要である。表と裏が文字通り表裏一体となってはじめて本物の千円札である。小説もこれと同じであって、いま仮に読むことを表とすれば、書くことは裏である。読むだけでは小説にならない。書くだけでは贋物である。読むこと=表、書くこと=裏が一体となってはじめて本物の小説といえる。――(『日本近代文学との戦いⅠ:私語と格闘』より)

夏目漱石、芥川龍之介、宇野浩二、永井荷風、横光利一、牧野信一、太宰治、坂口安吾……。彼らが格闘した「日本近代小説」とは何か? それは西欧文学との「混血=分裂」の産物である。二葉亭四迷の『浮雲』からはじまった日本近代小説を「千円札文学論」によって読み解く未完の連作小説。単行本『日本近代文学との戦い――後藤明生遺稿集』(柳原出版)に所収。

後藤明生は笑いのツボを心得ている。大学(近畿大学文芸学部)の文学講義における自虐的な女子大生との戦い、講義中に先生(後藤明生)を無視してお喋りをする。それどころかお茶を飲み始める女子大生。ペットボトルが出始めた頃か?瓶とか書いてあるが。今ではお茶は珍しくもないだろう。そういう自虐ネタを枕にして本題を語りだす落語スタイルが饒舌体の笑いになっている。

二葉亭四迷の系譜である。二葉亭四迷は言文一致で日本近代文学の祖とされる。しかし彼の中には文学の雄になろうという気持ちはこれっぽちもなかった。文学よりも外交で一旗上げたかったという。

二葉亭四迷『浮雲』は日本近代文学の道を切り開いた言文一致の始まりとされている。それは単純に文語体を口語体にしたのではなかった。二葉亭四迷がロシア文学との出会いから生まれた混血(バイリンガル)の文体であった。

坪内逍遥の勧めで圓朝の落語のように書いたらどうかというアドバイスがあったという。ただそれだけではまだ二葉亭四迷の言文一致は完成されない。落語の「ございます」調は丁寧すぎて坪内先生はないほうがいいということだった。先生は美文調を求められたが、二葉亭四迷はそれが嫌で却下したという。そして西洋(ロシア)文学の語り方(饒舌体)に学んだ。

ドストエフスキーの饒舌体。その始まりはゴーゴリからだ。日本近代文学の格闘は西洋(ロシア)との混血=分裂なのであった。

そして二葉亭四迷は文学をさほど尊重もしていなかったのが正直なところだという。さらにツルゲーネフ『あいびき』の翻訳に於いて自然主義文学を生み出す。二葉亭四迷の混血=分裂の混迷の日本近代文学の始まりであった。

関連書籍:『小説--いかに読み、いかに書くか』



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