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夏時間歌えない歌は革命歌

渋谷ユーロスペースで映画『君が死んだあとで』を観た。1967年の第一次羽田闘争で18歳で亡くなった山﨑博昭さんを取り巻く人々の証言集ドキュメンタリー。最近文学の世界でも[「聞き書き」という手法の作品が多いが、これも「聞き書き」と似たドキュメンタリー映画だと感じた。インタビュアーの監督が当時の人々に憑依していくイタコのような映像。それは後で対談した批評家四方田犬彦が述べていたことだが「服喪」という時代への告別式なのかと思った。映画を観て何かを熱く語りたくなってしまう。あの時代にいた人も憧れた人も。

この特別対談は面白い。中でもこの映画で音楽を担当した大友良英氏のフリー・ジャズとの時代への関わり方。フリージャズのセクトとカルトの話は興味深い。それはオウム真理教に関わって行った者にも共通するものだと思った。最近観たドキュメンタリー映画の2作品、『狼をさがして』と『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』もあわせて観て欲しい。

対談シリーズの最後を飾る加藤登紀子さんの熱い思い。歌は感情移入してしまうものだ。まさにお通夜の雰囲気だ。革命歌はロシアっぽいなと思った。自分はその後のおじさんが湿っぽく歌った歌がいいと思った。


肝心の映画について、彼(山﨑博昭さん)の死が「全共闘学生運動」を盛り上げもしたし、過激化する契機でもあったのかもしれない。一番興味深かったのは詩人の佐々木幹郎さんだった。高校の同級生で追悼詩「死者の鞭」の朗読。佐々木幹郎さんは個人的な関係で政治的というより親友として彼の日記に記した自身の言葉(高校生のことで自意識過剰なこともあったのか)と向かいあってその後も闘争を続けるが内ゲバなど暴力的になり身を引く。一番興味深かったのは「ヘンリー・ミラー全集」と「白秋全集」が並んだ本棚だった。ヘンリー・ミラーは二十歳の頃ハマったな。全集は憧れで分冊で何冊か読んだけどだいたい自伝語りでどれも似たような話で、もうひとつの「夏」の時代。

死者の鞭 佐々木幹郎
ああ 橋
十月の死
どこの国 いかなる民族
いつの希望を語るな
つながらない電話や
過剰の時を狩れ
朝の貧血のまわる暗い円錐のなかで
心影のゆるい坂をころげくるアジテイション
浅い残夢の底
ひた走る野
揺れ騒ぐ光は
耳を突き
叫ぶ声
存在の路上を割り走り投げ
声をかぎりに
橋を渡れ
橋を渡れ

内ゲバ闘争が激しくなりその抗争で死者が出る。舞踏家となった岡龍二さんのコトバは強く印象的だ。死者たちの亡霊に憑かれて夢に出てきたという。その死者を諌めるために舞踏として対峙する。それで暗黒舞踏なのかとか。

水戸喜世子さんによる逮捕学生への支援活動。そういえば以前通ったジャズ喫茶『響』のママが学生運動が激しい頃によく学生が飛び込んできてシャッターを降ろしたとか言っていたことも思い出す。そういう心情はもう無くなってしまった。それはエリート学生のセクト主義が権力側のピラミッド構造と変わらないという意見は、ほんとそう思う。その後における男の活動家と女の活動家の違いとか、あと実家を継いでブルジョア側になったり(自分が知り合った活動家はこのパターンだったな。)。それと水戸さんの家族の話は、ちょっと恐怖を感じる国家権力の闇の部分。その前に反原発運動をする頃から誹謗中傷の嫌がらせの話があった。今のネット社会と同じ。

個人的に全共闘世代の人と二十歳ぐらいのときに関わっていた。そのときに学生運動のリーダーだった人が「日本人の心情左翼の根を根こそぎ断ち切ってしまった」と言ったのが印象に残っている。角棒と敷石を使った闘争ではまだ大衆の支持を得ていたのだ。内ゲバや後の暴力革命によって大衆が離れてしまった歴史がある。その歴史にどう落とし前を付けるのか監督が問う映画だった。

「君が死んだあとで」生きるために。


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