シン・現代詩レッスン10
今日も『春と修羅』から「小岩井農場(パート九)」。
「小岩井農場」は賢治の地元にある酪農農場。
『春と修羅』の中に「小岩井農場」と題の詩は「パート1」から「パート9」まであるのだが、5,6,8が欠落している。賢治が小岩井駅から小岩井農場までを歩いた歩行詩であり、その中に回想や心象スケッチが含まれる。例えば5.6は欠落しているのだが、後の別の形で「第五綴」「第六綴」と題されて宮沢賢治の学校(教師をしていた)の後輩教師に対する思いが綴られているエッセイ風の詩だ。その中で賢治は後輩に厳しく接してしまうがそれを後悔する詩を描く。宮沢賢治は宗教的な理想主義者であるが行き過ぎのところがあり煙たがれられる人というような。
同性愛の相手も国柱会に勧誘するが、相手は拒否するのに何度も勧誘していく。相手はキリスト教徒なのだ。その辺りで賢治は相手の気持ちを考えず自分の理想だけの人生を追いかける人のように思える。そのへんが賢治の詩の強さでもあるのだと思うが宗教人だと迷惑だと言えば迷惑な人だったのだろう。賢治と同性愛の相手は精神的な関係のように思える。それが宗教的な思想の対立が決定的だったのだろう。その相手とは創作の同人であったようで、その中で詩とか短歌を書いていたようだ。
パート9は、それまでいろいろな回想や風景詩があり、ここで童話的な賢治らしさが見られるような気がする。最初の4本の桜の喩えは、その同人誌の仲間4人ということだった。ユリアとヘルペルと私(賢治)の道中だが、一人だけかけるているのが、その同性愛相手だということだった。
ユリアは女性名なので妹のような気がする。「感官」という言葉から尾崎翠『第七官界彷徨』を連想してしまう。
『春と修羅』は『第七官界彷徨』の前に出版されているから尾崎翠は読んだかもしれない。
今日の日記で入沢康夫『詩にかかわる』で宮沢賢治が手帳とシャーペンを持って日記のように詩(賢治は「心象スケッチ」と言う)を書きつけていたことが書いてあった。『春と修羅』はそんな詩だったのだ。中原中也がこの本を古本屋で大量に買って(十冊ぐらいだが)友達に配っていたとか。大岡昇平が書いている。きっと『春と修羅』の中にそういうエッセンスが詰まっているのだと思う。
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