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折口先生は厳しい人だ。

『口訳万葉集/百人一首/新々百人一首 』折口信夫 (著), 小池昌代訳 (著), 丸谷才一 (著)(池澤夏樹=個人編集 日本文学全集02 – 2015年)

和歌の歴史を始まりから爛熟期まで九百年に亘って辿り、精選した歌に達意の訳と周到な註釈を添える。(池澤夏樹)

『口訳万葉集』折口信夫

折口が元歌とその口語訳を弟子である岡野弘彦が書き留めてちょっこと解説を入れただけの『万葉集』。詳細な解説がないから興味を持ち続けるのが大変だった。元歌の意味よりも歌のリズムと言葉の音韻を味わうというのが主眼らしい。岡野弘彦『折口信夫伝』によると折口信夫『口訳万葉集』は原文に句読点を付けて歌のリズムが入ってくるようにしているとか(楽譜を読むような指示記号だった)。そこは気が付かなかった。文字で読むというより口承文学としての「万葉集」。折口は『万葉集』を全部暗記していたという。そのぐらいに読み込めということなんだろう。折口は東歌から始めたという。

大伯皇女が弟の大津皇子の死を悼んで詠んだ歌は後に折口『死者の書』を書く動機になったのかもしれない。伊勢神宮の巫女という神職をなげうって京に参じ個人(故人)を歌った(後でこの読みは間違いと気がつく)。また二上山を拝む姿。「馬酔木」の歌の何気ない解釈、京に参じる路上での姿に胸打たれる。個人の歌が人々の記憶に残った。

『百人一首』小池昌代・現代語訳

映画『ちはやふる』三部作を観たので、そろそろ「百人一首 小池昌代」を読み始めた。こっちは丁寧な解説。第一句目、「秋の田のかりほの~」は天智天皇の歌とされているが、本当は詠み人知らずの農民の歌の盗作。稲刈りの重作業の歌を天皇の歌に改作していた。天皇の歌とされるものは、側近が作ったり歌い継がれていた名歌がいつの間にか天皇の歌にされることが多いという。まだ個人というものが確立されていなかったからなのか?

『新々百人一首』丸谷才一編

まだ読み切れていませんm(_ _)m

関連図書

『私の万葉集 一(全5巻) 』大岡信

『南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一』 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14 – 2015年)


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