バブルな恋愛小説を今読むと
『うたかたの日々』ボリス・ヴィアン , 伊東守男 (翻訳)
純粋無垢、夢多き青年コランが出会った少女クロエは、肺の中に睡蓮が生長する奇病にかかっていた――パリの片隅で儚い青春の日々を送る若者たちの姿を、優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、現代で最も悲痛な恋愛小説。39年の短い生涯を駆け抜け、様々なジャンルで活躍した天才ヴィアンの代表作
我が青春の読書、再読。かつての青春恋愛小説No.1だったが今読むとそうでもなかった。ヒロインが死ぬことで愛の永遠性はあまりにもロマンチシズムすぎるし内容もお花畑だった。バブル期の悪酔いの中で読んでいた。
ただ、これが書かれたのは1946年だった。パリ占領時代から2年しか過ぎてないので、このバブル感はなんだと考える。アメリカへの憧れ。「ニュー・オリンズかエリントンの音楽と女の子との恋愛。人生にはそれ以外は必要ない」と断定する。そして、展開されるスラップスティックな青春。人に奉仕するネズミは、ディズニーだった。映画的な情景。
短文でセリフ主体文学。同じ頃読んでいたヴォネガットに近いのかもしれない。村上春樹と同列に読んでいた感じでもある。言葉の断定は、青春小説のセオリー。そして、ジャズの自由。お花畑な死。クロエは、「ダフニスとクロエ」を彷彿させるのだろう。当時はそんなことは知らなかったが、ラヴェル的ロマン主義文学。
エリントンの「クロエ」の変奏曲ってなんだろう。実際のエリントン・ナンバーも出てくるのだが「クロエ」なんて曲はあったかしらと思った。それは「 クレオール・ラヴ・コール」ではないか?と考えた。クロエはクレオールだった。ニュー・オリンズの憧れ。植民地主義のオリエンタリズムのフランス文学。
だから自由と繁栄のアメリカの都市がイメージされるのだった。映画的なスラップスティックな世界。ディズニーのお花畑。そして、愛と死のエロス。知(サルトル)に対するパロディ。80年代に読まれたのなら、悪酔いする感じだろうか?村上春樹的に読んでいた。岡崎京子の漫画。まさにそんなバブル感。
クロエの肺に咲く蓮の花は、結核なんだろう。イメージ的な文学ロマンチシズムだけど。結核が貧しさゆえの病だとしたら、金持ちのコランは救えるかもと考えておかしくない。でも実際はお坊っちゃんであった。今読むとプルースト『失われた時を求めて』「花咲く乙女たち」と重なるが、プルーストは喜劇として描いていた。今はこっちのほうが恋愛小説No.1かもしれない。
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