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侍女の物語は今も続いていた

『侍女の物語』マーガレット アトウッド (著), 斎藤 英治 (翻訳)

侍女のオブフレッドは、司令官の子供を産むために支給された道具にすぎなかった。彼女は監視と処刑の恐怖に怯えながらも、禁じられた読み書きや化粧など、女性らしい習慣を捨てきれない。反体制派や再会した親友の存在に勇気づけられ、かつて生き別れた娘に会うため順従を装いながら恋人とともに逃亡の機会をうかがうが…男性優位の近未来社会で虐げられ生と自由を求めてもがく女性を描いた、カナダ総督文学賞受賞作。

いま、アウトウッド『誓願』を読んでいるのだが、その前の『侍女の物語』を読んだ記憶も忘れてしまったと思い、過去の記録から取り上げた。『侍女の物語』を読み終えた頃にWOWOWでもドラマがあったのだが、それを観たら全然違った話じゃないかと思ったら、すでに『誓願』の方のストーリーだったのだ。シーズン1、2から始めないでいきなり3だったのだ。

それから暫く忘れていたが、「100分de フェミニズム」という番組、去年(2023年の正月)に再び翻訳者の鴻巣友季子さんが取り上げて講義していたのを思い出す。

その時の一言。

侍女の物語』の続きを書いてくださいという声はあったんですが、アトウッドはずっと書かなかったんです。小説に描いたディストピアが現実に近づいてきてしまった。(『請願』は)時代が書かせたと思います

スラスラ読めると思ったがなかなか読み終わらんかった。なぜかとうとこのヒロインが最後まで態度がはっきりしないからだと思う、それが「侍女性」でそれと対照的な行動的なモイラがヒロインだったらもう少し活劇的な物語になっていただろう。ヒロインがどこまでも受け身で回想ばかりでイライラさせられる。しかしそれは母親世代の失敗があるわけで、革命世代の母を反面教師と眺めていたからヒロイを形成していたのかもしれない。これはぼくら世代(しらけ世代)にも言える。本人も自覚しているからこそ「あなた」に宛てた物語となっているのだ。(2021/05/02

わたしとしては、この物語が苦痛に満ちていることを申し訳なく思う。この物語が、十字砲火を受けた体のような、あるいは力ずくで引き裂かれた体のような、バラバラの断片になっているのは残念に思う。でも、わたしには変えようがないのだ。

それにもかかわらず、この物語を何度も語り直すのは辛い。一度だけで充分だった。あのとき一度話すだけで充分でなかっただろうか?でも、わたしは悲しく、ひもじく、惨めなこの物語を、逸話が多く遅々として進まないこの物語を語り続ける

結局のところ、わたしはこの物語をあなたに聞いてもらいたいから。わたし同様に、チャンスさえあれば----わたしたちが会えるか、あなたが逃亡すれば----あなたの物語も聞いてみたい。未来か、天国か、牢獄か、地下か、どこかの場所で。

マーガレット・アトウッド、 斎藤英治翻訳『侍女の物語』


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