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崩壊していく世界を彷徨う者たち

『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』 フーゴー・フォン ホーフマンスタール(翻訳) 丘沢 静也 (光文社古典新訳文庫)

なぜ、若き文豪は筆を折ることにしたのか? 言葉はウソをつくから当てにならない、と気づいたチャンドス卿が、もう書かないという決心を流麗な言葉で伝える「チャンドス卿の手紙」。世間知らずのうぶな青年の成長物語「アンドレアス」(未完)。世紀末ウィーンの神童ホーフマンスタールの代表作を含む散文5編を収録。

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ウィーン世紀末の作家ホフマンスタールを決定付けた『チャンドス卿の手紙』は、芸術を志す詩人のような表現者である主人公(貴族的)の足元が崩壊して、精神の彷徨う姿を描いている。それは今の電脳空間の社会とも関係があるよに思える。

つまり精神と肉体が分離されて、身体が彷徨うしかない状態なのだ。そこに主人公は言葉の限界(電脳社会に通じる)を感じ神の姿を見てしまうのだ。それは世界の現れとしての神で、ベーコンへの手紙というのも、そういう精神世界のことに言及しているのだ。

それは神経症的失語状態のようなことで(世紀末ウィーンで精神分析のフロイトが登場する)主人公が幻視者である人間の彷徨う姿を描いているのだ。欲望と精神の乖離していく中で見出す神の統一という姿。例えばネット社会を彷徨う足場が崩壊した人は、何を見出していけばいいのかという話に繋がってくる。

昨日映画、『夜明けまでバス停で』でをみたのだが、何か精神的なものを求めて生きてきた人がホームレスになる社会と通じるのだ。生きてゆく足場の不安定さの中で電脳社会がはびこっている。それは倫理なき世界で美学という統一性を求めるならば、末端の者は排除されてしまう構造なのだ。

『第672夜のメールヘン』もブルジョア的貴族階級の青年の崩壊する精神を描いている。前の『チャンドス卿の手紙』と同じで足場を失った人間の崩壊していく姿だ。ただ彼は神は見いだせず囚人の世界に繋がれていく。

『騎兵物語』
そうした者が参加していく戦争という中でのある姿を描く。死は幻視と区別が付かないほどに現実を侵食していく。

『バソンピエール元帥の体験』
これもそう言う話の延長だと思う。トルストイ『戦争と平和』の中尉のような世界。快楽と宗教心(騎士道精神か)のはざまで崩壊への道へ突き進む彼らなのだ。例えばホメロス時代の英雄譚を求めても現実にはどこにもそんな世界はなく、ただ破壊していく欲望だけが見出されていくのだ。

『アンドレアス』
はそういう青年の半世紀というような中編で読み応えがある。そうか翻訳者の) 丘沢 静也氏はカフカを翻訳してた人で、そんなカフカ的な不条理さとも関連してくるように思える。父親がブルジョア階級で何かを成し遂げないと人間ではないという権威と道楽息子という関係性。

彼はその世界に彷徨いながら欲望の中に美(女)を見出そうとするが理想的な女は娼婦だったという話。それさえも幻影で、つまり道楽息子の崩壊の過程を描いている。気が付いた時には何もかも喪失してしまった世界に立たされるのだ。


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