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相撲道朝顔に尿(しと)しとぴっちゃん

だらけている一日。いつもの散歩コースだが、桜が散って珍しい花々が咲き乱れる。野草とかもっと撮りたいと思っているのだが、ルッキズムの文化に染まっているのか庭木の方に目が行ってしまう。美は文化だというのは最近特に感じるのだが、日本の伝統芸能とのはざまで聖域と文化的差別をどう解消していくのか。

Netflix『サンクチュアリー聖域ー』は面白かったが変わらない相撲界の姿も明らかなのだ。それは相撲をスポーツとするか日本古来の儀式とするかで見方は変わってくるだろう。『サンクチュアリー聖域ー』は儀式としての日本文化の伝統の中にある男尊女卑の文化を明らかにした。帰国子女(アメリカ帰り)が学んで行くのは日本の文化論だった。不良青年には社会人としての規範こそ学ぶべきだということなんだが。面白いのは相撲界は家父長制なのに、その外側にある女の強さが出てくるのだ。主人公の母親がそうだろう。ただどうしようもない母として描かれるが。ライバル力士の母もどうしようもない鬼として描かれる。しかしその鬼女も息子の母だということだった。ちょっと考察してみたいテーマかもしれない。

その反対の社会が描かれていると思うのが韓国小説の『僕の狂ったフェミ彼女』。韓国は日本以上に男尊女卑が激しい国だった(儒教の影響が言われるが)。日本の現代社会の視線からは韓国男子のフェミニズムの後進性を笑うことが出来る。フェミ彼女と同じ視点として、喜劇として読めるラブコメだった。それは教育ということなのだろうか、現実なのだろうか?日本では、まだこの手のフェミニズム小説は出てきてないように思う。先に上げた『サンクチュアリー聖域ー』は喜劇にもなりそうだったのに、リアリズムの相撲道として観てしまう文化なのだ。女が土俵に上がれないという聖域。でも女相撲という文化もあったものなのだが。それは道化としての女相撲なのだろうな。エロを含んで。

『らんまん』も日本の近代性を問う朝ドラだと思うが、西欧の分類学という植物学と日本の古来の植物を見つめる主人公の葛藤。金持ちの道楽なのか?彼の人生なのか?万太郎の文化問題は、牧野富太郎の著書に出ている。

写真はウキツボリクというブラジル原産の花だった。本来亜熱帯の植物なのだが日本の気候が温暖化によって庭木としても生育する環境になっているのだろう。その半面日本本来の植物は育ちにくくなっている。そのへんも日本の伝統と共に考えるべき問題かもしれない。相撲の外国人力士のような。今日の一句

相撲道朝青龍は外国産

川柳か?もう一句。

相撲道朝顔に尿(しと)しとぴっちゃん

狼や朝顔に尿しとぴっちゃん

こっちは「子連れ狼」をテーマにしたのだが、こっちの方がいいかもしれない。朝顔は男性トイレのものだし。大神もかかっている。不届きな川柳だけど。



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