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存在の耐えられない芸術家

『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』(2023年/ドイツ/93分)監督:ヴィム・ヴェンダース 出演:アンゼルム・キーファー、ダニエル・キーファー、アントン・ヴェンダース

ナチス、戦争、神話をテーマに創作活動を続ける戦後ドイツ最大の芸術家、アンゼルム・キーファーのすべてをヴェンダース監督が描く
戦後ドイツを代表する芸術家であり、ドイツの暗黒の歴史を主題とした作品群で知られるアンゼルム・キーファーの生涯と、その現在を追ったドキュメンタリー。監督は、『PERFECT DAYS』(23)で第76回カンヌ国際映画祭 主演俳優賞(役所広司)を受賞し、第96回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされたことも記憶に新しい、ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダース。

アンゼルム・キーファーは、ナチスや戦争、神話などのテーマを、絵画、彫刻、建築など多彩な表現で壮大な世界を創造する、戦後ドイツを代表する芸術家。1991年、高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。ヴェンダース監督と同じ、1945年生まれであり、初期の作品の中には、戦後ナチスの暗い歴史に目を背けようとする世論に反し、ナチス式の敬礼を揶揄する作品を作るなど“タブー”に挑戦する作家として美術界の反発を生みながらも注目を浴びる存在となった。1992年からは、フランスに拠点を移し、わらや生地を用いて、歴史、哲学、詩、聖書の世界を創作している。彼の作品に一貫しているのは戦後ドイツ、そして死に向き合ってきたことであり、“傷ついたもの”への鎮魂を捧げ続けている。

キャストには、アンゼルム・キーファー本人の他、自身の青年期を息子のダニエル・キーファーが演じ、幼少期をヴェンダース監督の孫甥、アントン・ヴェンダースが務めている。本作は『PERFECT DAYS』が出品された第76回カンヌ国際映画祭で、ヴィム・ヴェンダース監督作品として2作同時にプレミア上映された。

映画という枠内でのカタログ的な「アンゼルム・キーファー」の芸術というような映画。3Dだったのか?そういう仕様の映画館ではなかったが、「アンゼルム・キーファー」の人と成りを知るにはヴィム・ヴェンダースが的確だったのかもしれない。

「存在の耐えられない軽さ」。クンデラの本のタイトルだが、キーファーが逆のことを言っていた。我々は「存在の重さに耐えられない」ので軽さを好むというような。キーファーの作品は巨大で重々しいのだが、それは歴史の中にあるドイツにおけるナチスという問いを問い続けるからであった。ナチス的敬礼とかのポーズをするのは、その敬礼の意味を思い出させるためなんだろうか?逆に本来なら意味のない敬礼だったものがナチス的ポーズとして重さを孕んでしまう。そうした問いを問い続けることがキーファーの作品であるという。

例えば鉛で出来た本とか、衣服の固まった表現(新表現主義とされる)とか、軽さの反対にある重さについて。それはキリスト教的な救いという概念(もうひとつ羽ばたく羽と風のモチーフがある)と対置するものなのかもしれない。破壊というリリス。「エヴァンゲリオン」的だが、原初の悪魔は聖書に出てくる排除された妻(女)リリスであったというモチーフがあるのだ。それは悪魔主義的なゲーテ「ファウスト」を連想するのだが、キーファーの過去の記憶が悪魔主義的にならざる得ないリリスから生まれたということのようだ。

廃墟の森で囁く顔のないリリス像は、破壊の象徴であり、置き去りにされた悪魔(ナチス)なのかもしれなかった。そこにアウシュヴィッツで消滅させられた者の声が重なる。ツェランの詩の朗読とか。

死という問題は元来我々の隣にあったものだのだ。詩で死がテーマになるのもそういうことを想像するからかもしれない。それは現実ではなく超現実的世界なのだ。概念(イメージ)と言ってもいい。それをキーファーは表現していく。

そうしたキーファーの芸術は枠付けることは出来ないものなのだが、映画という枠内でヴェンダースが表現しようとしていたものはドイツにおけるキーファーの問いというものだったのかもしれない。そこに映画の物語として彷徨う少年を描いたのは、キーファーの夢としてなんだろうか?

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