自分のコトバを見つけ権力側の言葉に飲み込まれないこと
『定義集 』大江健三郎(朝日文庫)
朝日新聞に連載されたコラムだという。ノーベル賞受賞後の「レイトワーク」(晩年の仕事)というべきエッセイ。何を定義しているのか?というとそもそもそんな定義は自分で探せということか?
大江健三郎は障がい者の息子を持ち、彼のために大江健三郎が選んだ言葉を定義しておこうと思ったが息子は人の言葉より鳥の鳴き声の方が好きだった。そして大江健三郎の言葉と違う音楽のコトバを選んだ。それでも大江健三郎は彼のコトバを探し続け小説を書いてきた。だから言えるとしたら「大江健三郎の作り方」というような本なのだが、そんなの無理だった。
それでも繰り返し述べられている「新しい小説を書き始める人に」という未来の作家へのコトバだろう。そこには大江健三郎が小説の書き方を模索したことが書かれている。大江健三郎の文学についての興味も書かれているけどよくあるベスト本を選んでというのではない。大江健三郎は詩に興味を持って、最初翻訳で感動したセンテンス(大江はスタンザという)に出会ったら原文の英詩にあたってみて自分のコトバで翻訳し直すことをしてきたという。そういうことなのだ。まず翻訳をそのまま受け入れるのではなく、自分のコトバと原文と対照させることによってコトバが鍛えられる。それは暗記式の単語集とは違う定義集なのだ。
近いのはパスカル『パンセ』とかモンテーニュー『エセー』だろうか?考える導きとしてのコトバとして、偉大な作家(ドストエフスキーやシェイクスピアや紫式部)から同時代の作家たちの横の繋がり。小田実やギュンター・グラスやエドワード・サイードといった作家と共有するコトバ、さらにそれを次世代のものたちに伝えるコトバとしての定義集なのだ。
例えば大江健三郎『沖縄ノート』では、沖縄の集団自殺が日本の軍人の名誉毀損となると裁判を起こしたのが、曽野綾子と産経新聞に関係する弁護士だった。すでにその裁判は結果が出ている。
大江健三郎がそこで言葉の定義の正確性を述べながら彼らの過ちを指摘する。その作家の姿こそ学ぶべき姿ではないのか?いついかなるときにそういう批判が出てくるとも限らないのである。得に今は歴史教科書問題や反動保守の時代になっているのだ。
曽野綾子が政権寄りであったこと。笹川良一が立ち上げた日本財団の次の会長が曽野綾子だった。このへんは統一教会との繋がりも出てくる。それでなくとも安倍元首相とはブレーンのような位置にいた人だ。教育改革とかそのへんで大江健三郎『沖縄ノート』が良くないと考えたようなのだが、そういうことを知っておくことも大事だった。
それは死者たちのコトバもなおざりにしないということなのだろう。『沖縄ノート』と『ヒロシマノート』はその採掘した死者たちのコトバなのだと思う。この国には勝手にコトバの意味を変えていく人が多いから。
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