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たこ八郎と重ねた中也絶唱

『完本 中也断唱』福島泰樹

口語体と文語体と、下町ことばを自在に駆使しながら、中也の魂の怒り、呻き、叫びを代唱しつづけてきた著者の中也詩短歌変奏の試みのすべてを伝える決定版。

目次
中也断唱
続中也断唱

紀伊国屋書店紹介文・目次

「中也断章」のⅠが中原中也の伝記を短歌にしたもので、これが一番面白かった。中也と長谷川泰子と小林秀雄の三角関係を短歌として物語形式で歌っているのだ。福島泰樹の絶叫は中也のいたたまれない姿と重なる。文字だけでもその姿を追えると思う。

「中也断唱 弐」(大正十四年十一月、泰子、小林秀雄宅に転居す。)

蚊帳はいらねえ蒲団にもぐって寝るからに荷造り上手になりにけるかも
たった先達(せんだって)逢ったばかりのもとへゆく未練だらだら見送ってやる
茶碗急須ギヤマン細工 割れものの包み届けてやるよ小林

『完本 中也断唱』福島泰樹

この短歌の手法は新鮮だった。福島泰樹の短歌が中原中也に憑依するのだ。そしてⅡになると中也の詩を短歌に変える本歌取りだが、やはり中也の詩の方が面白いような気がした。それは中也の言葉に寄り添って似せることの模倣だから中也の詩の枠をはみ出すことはない。むしろ短歌形式によって中也の詩が矮小化しているようにも思える。それはあくまで文字によるものだから、それを絶叫という声に乗せた場合はまた違うのかもしれない。

その後何回かの絶叫コンサートの後に福島泰樹が知り合った人の挽歌と重ねていく風にうたは生成していく。とくにタコ八郎の挽歌は、タコ八郎の姿も重ねて哀愁を帯びていく。

「元フライ級王者斎藤清作(たこ八郎)は、私の絶叫コンサートのファンだった。たこさんが、最後に来てくれたのは、亡くなる少し前、新宿安田生命ホールで開催された「六月の雨」であった。」

五月ゆく 黒き雨衣(カッパ)に縫い付くしぶきのごとく離れざりけり

酒瓶の花はしおれて切なくも畳の上に届くおかしき

だらりんと両手をさげてうなだれる敗者はつねに歯を漱(すす)ぐのみ

『完本 中也断唱』福島泰樹

実際にYou Tubeで動画を見たがよく聞き取れなかった。それはうたは生ものだからだろうか?歌人の朗読で言うと絶叫しなくとも寺山修司のようなうたのほうが響いてくるものがあると感じた。福島泰樹は同時代的な学園闘争とかの時代の後なのだ。時代性というセンチメンタルな部分があると思った。

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