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シン・短歌レッスン12

川柳レッスン

今日は白熊杯の締切日一日前だった。一日余裕を持って川柳作りだ(全然余裕もないのだけど)。一番川柳が合っている気もするのだが、作りなれてないのでまだよく川柳がわかっていなかった。過去記事から川柳について学んだものを。最初に読んだ川柳本で良かった。

短歌と川柳の感性の違いみたいなもの。むしろ俳句より短歌の方が川柳に近いかもと思った記事。「短歌レッスン99」から「模範十首」は川柳と短歌の読み比べ。

そして、今回チョイスしたのが小沢昭一『川柳うきよ大学』(新潮新書)。

やっぱ25日になってしまった。川柳作らなければ出かけられない。川柳作れと言ってもすぐには出来ないよな。寝起きだし。やっぱテーマが必要なのだ。ここは文学川柳にしようかな。時事問題は一句入れたい。小沢昭一で読むとどうなるのか?小沢昭一というとハーモニカだな。そうだ、『幕末太陽傳』の品川心中があった。川柳は人を読む。それだ。あと啄木と、時事的には総理か?プーチンか?朝風呂入って川柳三句出来た。

エロ本に雑誌重ねて未成年
冬将軍追い焚きしたいやせ我慢
停車場にあとなんだっけ?都会人

エロ本は本屋のオヤジに小沢昭一をイメージして。
冬将軍はプーチンにしたかったけど時期的にいいかなと
三句目は啄木の「そ」の歌のパロディでした。

葛原妙子歌集

『ねむらない樹vol.7』

水原紫苑選の葛原妙子の歌なのだが、この人は字余りとかあまり気にしない人のようだ。このぐらいの自由さは欲しいかもしれない。キリスト教に対しては、信仰心よりも美的な憧れという。「こころ虔(つつま)しきにためにあらず」と言っているのがそれだろう。

葛原妙子のキリスト教的な歌は、キリスト教文化の美的価値の憧れであり、宗教的なものではないのだが、家族(娘)がその影響でクリスチャンとなり、最後は自らも洗礼を受けたという。拒否していたのは日本的な理念があったのだろうか?

模範十首

扉を塚本邦雄『西行百首』にするつもりだったのに間違えた。仕方がないので、今日の模範十首は『西行百首』から。これ模範にはならないと塚本邦雄は言いそうなんだけど、古典を知っておくのもいいだろう。

ほととぎす深き峯より出にけり外山の裾にこゑの落ちくる  『御裳濯河歌合』

塚本邦雄『西行百首』

「深き峯」から一直線に降りてくるほととぎすの声が西行のますらおぶりを伝えていると。ただ西行の歌にしては珍しいのだと藤原俊成評。俊成も判定は相手方に与えているので、いいんだか悪いんだからわからん。正岡子規が『歌よみに与える書』で褒めたのはこのような歌だったんだろうと想像する。

あはれいかに草葉の露のこぼらん秋風立ちぬ宮城野はら 『御裳濯河歌合』 

塚本邦雄『西行百首』

『源氏物語』を踏まえているという。「年暮れてわが世ふけゆく風の音にこころの中(うち)のすさまじきかな」これは『紫式部日記』にある和歌で唯一紫式部の傑作であると断言する。「風の音の紫式部」という命名。塚本邦雄はキャッチフレーズが上手いな。西行とは関係のない話だった。

おほかたの露には何のなるならん袂に置くは涙なりけり  『御裳濯河歌合』 

褒めているのかけなしているのかわからないが、俊成が新古今集に西行の歌を入れたのは秀作が多く千載集はそれほどでもないとするのだが、その中ではこの歌は良い方だという。それでも新古今集の類想歌に比べると落ちるという。涙というのがセンチメンタルすぎるのか?露は涙と類想するだろう。

心なき身もあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮   『御裳濯河歌合』 

「心なき身」が己のことを歌っているので余計だという。幽玄さは感じられる歌なのに、そこが余計なのだという。

きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか聲の遠ざかりゆく  『御裳濯河歌合』  

芭蕉の「むざんやな甲の下のきりぎりす」を連想するが俊成は相手の方を勝ちとして、認めなかったという。その後の時代になり認められるようになったと。塚本邦雄は百人一首の「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」の歌は凡作であるとし、この西行の歌を高く評価する。

人は来で風のけしきも更けぬるにあはれに雁のおとづれてゆく  『御裳濯河歌合』  

『御裳濯河歌合』は負けてばっかの西行だった。それでものちに新古今集とかには入っているのだ。俊成には嫌われていたが後鳥羽上皇には好かれたのか?塚本評は、だらだらと句切れがないのが凡作だとしながらも題詠の「恋」で当時は女が待つ歌が主流だったので女身転身歌とする。男でもいいような気がするが。

知らざりき雲居のよそに見し月の影を袂に宿すべしとは 『御裳濯河歌合』 

これも百人一首の「なげけとて月やはものを思はする
かこち顔なるわが涙かな」との対決で引き分け。両方とも千載集の恋の部に入ったそうだが、塚本邦雄は百人一首の歌が大嫌いなそうなのである。「涙」とかの感情発露がナルシストすぎるのかな。西行の歌は一見恋の歌とは思えないと。忍ぶ恋なのか。

津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり  『御裳濯河歌合』 

塚本邦雄は西行の歌というより選者の俊成の判定に不服なんだ。この歌合は「かくれし天の河原と聞くからに昔の波の袖にかかれる」となって引き分け判定。断然西行の歌がいいという。能因の「心あらむ人に見せば津の國の難波わたりの春のけしきを」を踏まえているという。そして見事に逆転させた冬の歌なのだ。塚本邦雄の中でも十指の西行和歌だという。

あかつきの嵐にたぐふ鐘の音を心の底にこたへてぞ聞く  『御裳濯河歌合』

「鐘の音」は朝の鐘で釈教歌(仏教による和歌)で新古今の中でも傑作だとする。

白雲をつばさにかけゆく雁の門田のおもの友ふなる  『宮河歌合』

『宮河歌合』は、俊成のあと息子藤原定家に引き継ぎられた歌合。西行に請われたとあるから、西行と定家の結びつきが強かったのだろう。その後の和歌の潮流を生み出したというような。

映画短歌

これを書き始めたのが24日だからすでに2日も過ぎていた。このへんが調子の悪さなんだろうけど映画も昨日は途中で寝てしまったし、その前は何観たか思い出せないでいる。

二十歳まで夢見る子猫
野良と家
出てたむろする埠頭の夜に

こんなもんか?

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