幻視の空に「風が吹くとき」盆帰り
日暮れの空が綺麗だった。この時刻になると流石に風も気持ちいい。まだ南風なのか生暖かいのだが、風がある分、日中の無風の暑さとは比較にならないぐらい涼しいのだがスーパーで買い物をして部屋に戻ってくるとぐったりしていた。毎度の繰り返し。でも時間は過ぎていくのだ。何に向かって?死としかいいようがないのだが、それが生きる道。
午前中から映画を見た。八月が戦争月間なのか?そのような映画が多い。そんな中で昨日見たのは『風が吹くとき』。デヴィッド・ボウイが歌うタイトル曲は「マザーグースの詩」からの引用というので、原爆の恐怖よりも夫婦の愛の祈りの物語のようで、先日見た村上春樹のオマージュ映画『めくらやなぎと眠る女』に近いものを感じた。
予言詩的な幻視なのかな。また映画館が涼しくて眠くなりそうなんだけどどうにか最後まで見れたのはそれほど複雑な話でもなく、冷戦時代にお互いが信じられなくなったら、そういうことも起こるという映画で、老夫婦の無力さの中に返って祈りのメッセージ性が強いのかと思った。それはデヴィッド・ボウイが歌う主題歌でもあるのだが、そういうところに感動しているのだと思って、外に出ると眩しいほどの無風の暑さの世界は、これも地獄だなと思うのだった。
映画を見た後に図書館に行ったので自習室の席が空いてなかった。返却本二冊と三冊借入。一冊余計だったな。読まずに返すかもしれない。
どうにか席を確保して読書。田辺聖子『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋(下)』「いさよう波に行方知られぬ浮舟の巻」を読んだ。人形としての浮舟はさしずめアイドルというような偶像であるのだが、その偶像という人形に縛られて、最後は宇治の川に身を投げるという物語はよく出来ていると思う。それは中君によって薫に差し出されたのだが、薫はプロデューサー的役割で、匂宮という大スターとのスキャンダルがあったから芸能界を引かなければならなくなると言う話はあり得ると思う。まあ匂宮はヒップスターと考えるとギンズバーグ「吠える」とも繋がっていくと考えるのだった。
「シン・現代詩レッスン」はそのことを踏まえて「浮舟」を現代詩にしようかというアイデアはある。その前に「百人一読」をやって、今日の一句から。
今日の一首。
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