見出し画像

光源氏のパーティー好き

『源氏物語 38 鈴虫 』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第38帖「鈴虫」。女盛りに出家した女三の宮を哀れに思う源氏は、庭に鈴虫を放ったりして心を引くが、静かに暮らしたい宮は六条院を出たいと希望する。しかし最後まで尽くしたいと源氏は承諾しない。秋好中宮は亡き母・六条御息所の霊魂が彷徨っていると噂されていることを気に病み出家を望むが、源氏は共に供養しようと慰める。平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編古典小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。

Amazon紹介文

女三宮は出家したと言っても家は出ないのだ。おまけにお付きのものが女房が何十人も付くって、どういうものなんだろう。あまりにも人数が多くて光源氏が減らしたというが、特別の部屋も作ったり儀式も壮大になったり、この時代の出家は我々が考える出家とは違う感じだ。寂聴さんの出家する映画を見ても後で愛人に逢いに行くなどして違和感だったのに、仏教が形式化されて日本に取り入れられたのだろうなと。修行僧のイメージはなかった。だから後に鎌倉仏教がこういう形式的な贅沢さのアンチとして出てくるような。親鸞はよ来いという気持ちになる。

そして相変わらず六条邸では鈴虫の会なんて、中秋の名月に開かれる。そういう生活が嫌で女三宮は出家したかったのだと思うが。

鈴虫を放したのは、秋好中宮が松虫を放したのでそれに対抗して鈴虫にしたということだった。松虫は寿命がはかないという理由だそうだが、当時は山しかいなので少ないということだった。一説には鳴き方の違いがあるらしい。

そういえば鈴虫というのは、今でいう蟋蟀じゃなかったのか?あれはキリギリスだったか?芭蕉の句で螽斯が蟋蟀だったという句。蟋蟀で良くないと言うか鈴虫入れても蟋蟀に喰われてしまうんじゃないかと心配する。昆虫の勢力圏があるのだろうが鈴虫ってこのへんでは聞いたことがない。配送センターでよく鳴いていたが(商品として)。光源氏だから蟋蟀退治してから鈴虫を入れたのかもしれないが。光源氏は以外に虫好きだった(蛍の先例もあるし)。

(女三宮)
おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声
(光源氏)
心もて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりはせぬ

音楽会は自然と鈴虫の音を聴きに集まってきた者らが演奏したことになっていた。返って鈴虫の音の邪魔だと思うのだが貴族の風流とはそんなものかもしれない。でも鈴虫の会は光源氏が呼びかけたのだから最初からわかっていたのかもしれない。

秋好中宮が嫌になるのも、光源氏がやたらと春の間を贔屓にするから出家したいという言い出したのじゃないかと思う。六条御息所の怨霊のせいにもされているし。

橋本治『源氏供養』を読んでいたら、光源氏は女たちより男の方を愛したとか。特に息子たちは光源氏の愛する対象になったようである。冷泉院を殊更一番愛したのは。藤壺の忘れ形見だからだろうか?だから、ここも冷泉院のためにもぜひとも引き止めなければならないと考えたのだろう。

光源氏の派手好きも、うざいと思うのはイケイケのときはいいけど子供産んで落ち着きたいのにパーティー三昧では疲れるよな。それが法事であっても尚更。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?