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美智子妃殿下ほど出来た人はいない

『平成の終焉: 退位と天皇・皇后』原武史 (岩波新書)

平成とは天皇制の新たなスタイルが確立された時代だった。日本中をくまなく訪ね歩き、自らの思いを国民に直接語りかけてきた天皇明仁と皇后美智子。二人が生み出した「平成流」は退位後も受け継がれていくのか。皇太子(妃)時代からの足跡を丹念にたどり、「象徴」と国民との奇妙な政治的関係性を問い直す。

それほど皇室には興味がなく(天皇制には興味あるが)、最近の結婚騒動を見てもこの国は天皇制に慣れ親しんでいるのは明らかなのである。それでも美智子妃殿下(ちゃんとこういう言葉も使える)が皇室の解放というそれまでの閉じられた皇室から外に出ていく(ベールに包まれた皇居という空間からの解放された皇室)。地方で距離を縮めることによって、皇室を身近な存在にしてきた。それと西欧流の家族主義的な皇室も見せてきた。

平成天皇は皇太子時代から開かれた皇室を目指し、その役割として大いに存在感を示したのが美智子妃殿下だった。ミッチブームは、日本ではTVと共に皇室家族が注目を浴びた。ただ美智子妃殿下の流産があって、メディア・バッシングがあってからミッチー・ブームは去ったという。

皇室バッシングは、天皇よりも皇后や女性の方が受けるのは天皇制よりも家父長制の影響なのか。天皇家の嫁という視線だ。あるいは嫁に行くのも、嫁という立場でバッシングを受ける。それによって雅子妃が持ち上げられたり秋篠宮家が下げられたりするのが、後継者問題があるのだと思う。

平成天皇は天皇制の維持と象徴天皇という憲法の中での存在をアピールし続けた。それは美智子妃殿下の影響も大きい。キリスト教徒なんだそうだ。だから皇族であっても直接に人々と接することを望んだ。その影響は雅子妃に受け継がれたのか?残念ながらそれは叶わなかった。

美智子妃殿下の行幸啓(皇后と一緒にするから啓がつくのか?)で美智子妃殿下は直接膝を折って接する姿が親近感を呼び、結果的にメディアよりも行幸啓で天皇家と人民の距離を縮めた。美智子妃殿下が出来すぎというはあ。メディアバッシングが酷くて声が出せなくなった後の行幸啓で手話で会話したとか。伝説的。

日本人にとって「天皇」とは一体何だろう?(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/594ea785ec25d1fe92d0f0cf81a15a4eadb542bb

平成天皇の「おことば」問題について、憲法の中での象徴天皇性というものが維持出来なくなるのは、憲法改正の元での天皇制の右傾化に釘をさすものであり、上皇として影響力を持ちながら徳仁(令和)天皇に力添えしたいという皇室ファミリーとして築いてきた天皇制のあり方があるのだ。

例えば最近のバッシングにしても象徴天皇制を改変する流れがあるように思う(天皇家はこうあらねばならないという歴史と逆行する帝国憲法化の天皇制)。

あと宮内庁のホームページで天皇ファミリーの記事とかビデオ・レターとか面白いです。この著者は宮内庁のホームページで反論されたそうだが。そこにある天皇制の考えは見て取れる。最近は秋篠宮家の記事が多い。


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