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水文字で一句詠む虹の影

昨日は一日雨。不快この上ない天気だったが昔のように不快指数を言わなくなった。熱中症の数値のほうが重要になったということだが、不快指数と言われても快か不快かはどちらかにしかなく、不快と思ってしまったらそれが50%でも100%でも不快には代わりがないのであった。不快と思う人が50%ならば、まだ社会は不快と思わないのだろうか?雨の日を快適に、というけれど、そう思える人がどれだけいるのか?俳句などをやっていると不快でもその不快が心地良いという気持ちにさせるのだった。今日の一句。

長雨をながめて不快窓の外 宿仮

車を運転しているときなど傘をさして苦労している人とか不快だろうなと眺めていたが、電車の中に濡れた傘を持ち込み、その滴が足の上に垂れていたりするのは不快きわまりないことだった。そういう句は、なんで詠まれないのか?

濡れねずみビニール傘から不快な雫 宿仮

イマイチだな。

水たまりビニール傘の不快指数 宿仮

不快指数ビニール傘から漏れる雨 宿仮

不快な俳句を詠むことで不快を減らす。それが極意かもしれない。

雨水詠むビニール傘の雫から 宿仮

水文字で一句詠む虹の幻影 宿仮

そんなことを思いながら不快に思いながら帰ってきたらデヴィッド・サンボーンが聴きたくなった。

普段から三割ぐらいの力で生きることにしているので、なんとか図書館に行ったが今は手元にある本を読む時期だと思い本は借りずに、そのままネットカフェに行って昼食。ラジオの聴き逃しで「古典講読」は源氏物語を聞いて読書は『窯変 源氏物語10』の「横笛」「鈴虫」と読んだ。聴き逃しでもフルートの大御所マルセル・モイーズを聞いたのだった。

「横笛」は柏木の遺言を巡って夕霧が落葉の君の面倒を見るのだが、落葉の君の優雅さは同じ姉妹でも女三宮とは月とスッポンで、どうして柏木はスッポンの方に心を寄せたのか、よほど落葉の君は容姿が落ちるのかと思ったりするのだが、落葉の君が琴を出して演奏する月夜の訪問とか、堅物の夕霧も恋心が起きてくるのだった。そして雲居の雁のところに帰っても子供がうるさいだけのように感じるのだった。

「横笛」では柏木が夢に現れて、光源氏とのわだかまりを取り直して欲しいと現れ、落葉の君のところで預かった横笛を光源氏に渡すのだった。それが薫のものになるのだが、薫は光源氏の血縁でもちょっと変わった子だという。それは柏木の影を含んでいるからなのか、そんな感じでうだうだ続いていく。

映画を観ようと外に出たのが雨が止みそうもないので家に帰ることにしてU-NEXTで自宅映画館。『ウェンディ&ルーシー』はミシェル・ウィリアムズ主演のケリー・ライカート監督の女性映画。ミシェル・ウィリアムズはけっこう好きなのだが、彼女は演技が上手い。途中で寝てしまったのだが。

今日の一首。

雨の日を
快適にという
呪いのコトバ
不快の中に
潤いあるかも


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