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七草や七癖無くて幸せか?

七草。川べりの雑草でも拾ってと思ったが米を食べないのだった。それでもクリスマス・正月と贅沢が続いたので太ってしまった。3キロぐらい落とさなければベスト体重ではない。腰痛も出てくるし。今日の夜食は湯豆腐。それでも夜食は喰うんだ。このへんから直していかねば。今日の一句。

七草や七癖一句名無しでね

「な」の音律で攻めたけどイマイチだな。下五は癖を列挙すれば良かったのだが壮大な字余りになる。

この日記をアップした後にTwitterでの記事を読んで。

いつも不幸せな人々の「7つの習慣」(アーカイブ記事)uffingtonpost.jp/tamara-star/7-habits-of-chronically-unhappy-people_b_6210436.html

ハフポスト日本版

改作。

七草や七癖無くて幸せか?

読書。やっと去年からの課題となっていたジョン・スチュアート・ミル『自由論』の感想というか、まとめが書けた。最近感想をさらっと書けないんだよな。noteだからということもあるのかもしれない。日記でのメモ代わりを感想文に織り交ぜるので、読書経過のまとめになってしまう。もう一度最初から書き直せば整理できるのだと思うが、そこまでの面倒はやりたくない。自分の記憶(メモ代わり)する為だと思っているから。

『ヒロインズ』ザンブレノ・ケイト

『ヒロインズ』は評論なんだが書き方が私小説っぽく、意識の流れを使って、夫である作家に祀られた妻たち「ヒロインズ」を描いている。自身も大学教授である夫の元で女性であるという理由で迫害を受けている(そう感じている)著者が「ヒロインズ」と重ね合わせる表記の仕方。この人はブロガーだったのだ。それでこういう書き方なんだと納得した。

この本にもかかれてあるように、ブロガー時代には容赦ないミソジニーどもの反感を買ったようである。その怨念が文章に出ているのかもしれない。ただ論理的であることも必要なのだが、感情を言葉にするということも必要なのだ。それは「ヒロインズ」の言葉がそのようなもので、彼女らはそれを狂気とされて精神病院に入れられたのだ。男だったら詩人と崇められたかもしれない。現にフィッツジェラルドは、妻ゼルダの手紙や創作を元に『夜はやさし』を書いていたという。

それでフィッツジェラルド『夜はやさし』を読み始めた。ゼルダのモデルとなるニコルの壮絶な過去。父親から近親相姦を受けて下男からもいたずらされたという(これは虚言とされるのだが)。フロイトの言説でブルジョア家庭の多くに近親相姦があり、それが女性患者のトラウマ(PTSD)として、ヒステリーになるという上野千鶴子のフェミニズム入門の番組で言っていたことが、そのまま小説に書かれていた。それで彼女はその不安を抱えながら表現行為に結びつけようとしていた。それはアウトサイダーアートのようなものだ、と先ほどのザンブレノは主張するのだった。そのゼルダの崩壊を描いているのだが、そこに登場するディックという精神科医は美人で金持ちのニコルに自分の実験台として近づいたとしか思えない。そして同じような派手なハリウッド女優が現れるとそっちに目を奪われるのだ。その過程でニコルは棄てられ精神病院に入れられるというストーリー。一章がニコルの章なのだが、フィッツジェラルドは編集し直していて新たな改訂版では女優のローズマリーとの出会いから始めているという。突然、ローズマリーが出てきてニコルと重ねて読んでいたので混乱してしまった。

フィッツジェラルドは村上春樹が好きなロストジェネレーションの作家である。なんか春樹も恋人を自殺で失ったり、離婚したり(これは誤報だった)、でも妻も作家だったのだ。なにやら村上春樹の作品に影響しているようだ。そういえば『ドライブ・マイ・カー』の妻も創作をしていたが夫が演出家で陰に追いやられているストーリーだった。似ているのかもしれない。だから今まで読むのを躊躇ってしまったのか?

夜は落語を聞きながら風呂に入る。昨日は古今亭志ん朝『らくだ』を聞いた。その前に朝聞いたヤマザキマリのラジオ番組で立川志の輔の対談を聞いていたので、落語の面白さを知った。

【聴き逃し】ヤマザキマリラジオ 1/3 落語家・立川志の輔 1月3日(火)午後8:05放送 #radiru https://www2.nhk.or.jp/radio/pg/sharer.cgi?p=7239_01_3832759

志の輔が談志から「落語」とは人間の業であると学んだという。どうにも出来ない欲望、それは悪癖も含めて、むしろそれだからそれを笑いに変えて受け入れる世界なのだと。やたら正義ヅラしたり道徳的であったりしないのだ。ただそれは日本人の昔からある家父長制の元での話なので差別的なことも出てくる。それは滅びの姿でもあるから美的に感じられるのかもしれない。談志に取ってはである(また多くの落語家にとっては、そういう世界なのは女性落語家が最近までいなかった。今はいるようだが。それは落語の世界が男の世界であることは間違いないのだ。師弟制度もホモフォビアの世界なのだと思う。

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