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光源氏の負のパワーはなんなんだろうか?

『源氏物語 09 葵 』(翻訳)与謝野晶子Kindle版

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第9帖「葵」。桐壺帝が譲位し時代が新しくなった。先代の東宮夫人であった六条の御息所を恋人にしておきながら、源氏は誠意を見せようとしなかった。ある日、儀式に参列する源氏を見物に来た御息所の車と葵の上の車が場所争いになり、御息所の車は壊され強い恨みを持つようになる。葵の上には御息所の生き霊が取り憑き、源氏の子供を出産した後、亡くなってしまう。

怨念にまつわる巻だ。その怨念の源は光源氏にある。それを描いているが紫式部であるのなら何故それほど光源氏に怨念をまとわせているのか?ルサンチマンとも言っていいような。その悲劇性に女性たちは涙をしカタルシスを得るのだ。一つは母性に対してではないかと思うのだ。もともと光源氏の生まれが母性を喪失状態で生まれてきた。この物語で特に悲しむのは母親だった。彼女らは家の中に据え置かれている状態であり、ただ男の欲望を受け入れてきたのだ。そして生む性としてだけに存在価値がある。その悲劇は葵の上にも襲いかかる。

光源氏が関わった女性をみな不幸にしていく負の人だけど女性の気持ちとは関係なく、あっちこっちから訪問を歓迎されるのはただ美しいということだけなのか?桐壺帝の子供であるという身分もそうなんだろうが、それにしても不幸になるのは女性ばかりなのである。

葵も六条御息所も光源氏から相手にされずに放って置かれたのに、お互いに憎むようになってしまう。葵はどうだったかわからないが六条御息所の怒りというのは晴れの日に屈辱を受けたのだからわからないことはない。ただそれが怨霊となって葵に取り憑くというのは現代では考えにくいので、光源氏が見た内面世界だと思う。

宮中での噂は、今ではフェイクニュースとされるもので女房たちの気晴らしにすぎないデマゴーグだと思うのだ。そんな噂が怨霊となって光源氏に取り憑いてしまう。なにが真実か確かめることも出来ない。ソースを出せといわれても、発信源がわからない。すべてそれを操っているのは光源氏その人だと思われる。光源氏は何がしたいのだろう。ただ欲望のためだけなのか?それは性欲だけではないのであろう。光源氏の中にある負の感情が渦巻いているように思える。それは生む性(母性)に対してのルサンチマンであろうか?それは紫式部が持っていた感情かもしれない。

怨念を見たというのは光源氏だけなのだし、噂は六条御息所だけではなく、二条院の葵の上にも及んでいたのだ。今の時代で考えると光源氏が原因の元であるのに、それを女の怨念にしてしまう。そのことは光源氏には都合がいいことだったのは、気持ちが薄れていく二人の女と別れられたのだから。それでも彼女たちの家の方ではなおも光源氏の訪問を望んでいる。

光源氏の方がそんな喪中にも関わらず朧月夜にちょっかいを出したり、紫の上との関係に及んで彼女の心をズタズタにしてしまう。それでもお構いなしに女房たちは目出度いことだとしているのだった。

光源氏の負のパワーに唯一人影響がない人物がいた。源典侍だ。彼女は高級女官ではあるが、すでに子供を産めない身体性を得ている。それはこの社会ではマイナスなはずなのに自由に恋愛を享受しているのである。だから光源氏とのやり取りも悲劇にはならず喜劇的なエピソードになっていく。彼女と光源氏の戯れを見てみよう(この巻で唯一朗らかに笑える場面だ)

(光源氏)
かざしける心ぞあだにおもほゆる八十氏人(やそうじびと)になべてあふひを
(源典侍)
くやしくもかざしけるかな名のみして人だのめなる草葉ばかりを

光源氏に素直にくやしさをぶつけているのだ。多くの情婦が思うことも口にはできず亡くなった後に身代わりに母が不平を漏らすというこれまでのパターンは、ここでも繰り返される。

最後に左大臣家を訪問して、それでも歓迎されるのだが、母宮との和歌のやり取りは母宮の本音が出ていた。

(光源氏)
あまた年今日(けふ)あらてめし色ごろもきては涙ぞふるここちする
(母宮の返し)
新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり

涙ばかりの『源氏物語』であった。


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