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夏芙蓉「千年の愉楽」に献花する

芙蓉。中上健次の小説にたびたびでてくる「夏芙蓉」という花が気になっていたのだけど、実際にはそういう花はなく(中上が生まれ育った紀州ではあるのかもしれないけど)、この「夏」がイメージする白さはなんだろうと思ったら、あの世なんだと思った。夏椿とか沙羅の花とかのイメージ。芙蓉は蓮の花にも例えられるから仏花としてのイメージだったのか?

中上健次の「夏芙蓉」の使い方が上手いと思うのは、「夏」が過ぎた季節で盆送りのようなイメージがあるからだろうか?花を語りにもってくる小説ではフォークナーの小説で叔母さんが藤の花の咲き誇った美しさ(その匂いはむせるようで『悪の華』を想像させる)を語ってて幻惑世界に誘う小説技法を模倣したものと思われる、他にあるのか。

『千年の愉楽』でも描かれているようなので探して読んでみたい。小説の書き出しに花を持ってくるのは献花なのかもしれない。そこからあの世に行った者を語り始めるのだ。

夏芙蓉「千年の愉楽」に献花する 宿仮

もうじきお盆なんでこんな精神状態なのか?今日は外に出よう。昨日は雨予報で涼しそうだったから引き籠もり生活。なんとか「シン・短歌レッスン」を上げたが最近ネックになっているのが「王朝百首」で果たしてそれらの歌が好きなのか?と聞かれれば疑問に思わざる得ないのだが『古今集』『新古今』から和歌の歴史があるんだろうということで、読んでいるのだと思う。ただ読めば読むほど正岡子規じゃないけど、この時代の歌はかすかもしれないとも思ってしまう。万葉に帰れではないけど。そんな中で希望の星は西行だった。西行詣にでも行くかな。

あと、「シン・現代詩レッスン」でも高村光太郎で躓いてしまう。もともと好きになる要素はないのだが、そういう詩人は打っちゃておいたほうがいいのか?嫌いならその嫌いな理由を見極めて、何が駄目なのか明らかにしたいのだが、高村光太郎は最初からその権威性が鼻に付く。それでも持ち上げる人もいるんで、どこがそんなにいいのだろうと思ってしまうのだった。

映画は『愚か者の船』を観ている。これはナチス・ドイツの時代でアメリカからドイツに向かう船の中の群像劇。ヴィヴィアン・リー最後出演作だという。『舞踏会へ向かう三人の農夫』に出てきたフォードが第一次世界大戦のために出した「愚か者の船」とは違った。しかし船はいつの時代も「愚か者船」のように思えてしまう。日本の戦艦なんてまさにそのとおりなんだろうが「宇宙戦艦ヤマト」もそういう話だと思って読んでみると面白いのかもしれない。日本人はそういうことには鈍感なんだと思うが。

「愚か者の船」のプレイリストがあったのでそれを聴いた。アメリカのロックなんだよな。ジャズにはあまりそういう曲はない。

あと夏の快適音楽プレイリストを作った。やっぱ恋の歌が多い。夏は恋の季節なんだな。「ミスターサマータイム」とか。ここには入れなかったけど。

過去のプレイリストでジャズ編の夏のプレイリストがあった。最初からアイラーの「サマータイム」とか、暗すぎ。

歌あそび
夏の夜の夢
サマータイム
音楽は愉楽
抒情の旋律

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