幻視の女王を飼いならすために
『穂村弘ワンダーランド』高柳蕗子責任編集
まず高柳蕗子って誰なんや?と検索したら高柳重信の娘だった。「かばん」という短歌同人誌の人らしい。
穂村弘の短歌が一番好きで歌人の中で一番読んでいるのが穂村弘だろう。
noteで記録しただけでもこれだけあった。それ以前にも少し読んでいるが、穂村弘の本の全体量から比べればかなり少ないと思う。そして、年代順に穂村弘の本を読んできたわけでもないのだ。例えば『短歌の爆弾』(批評)と『シンジケート』(デビュー作)を同時期に読んでいるのだ。
この特集を読んで、一番驚いたのは、瀬戸夏子『穂村弘という短歌史』で、歌人の穂村弘と批評家穂村弘がいたということだ。穂村弘の影響を語る上で注目しなければならないのは寺山修司だという。寺山修司が影響を受けたのは石川啄木である。しかし寺山修司が短歌に虚構性を持ち込むのは石川啄木のセンチメンタルの叙情性を無化するためなんだろう。石川啄木の家=故郷という短歌を解体していくのが『田園に死す』なのだ。
同じように穂村弘が寺山修司を解体しただろうか?それは批評家穂村弘が向かったのは寺山修司ではなく塚本邦雄であるという。塚本邦雄の絶対批評というような、例えば斎藤茂吉『赤光』を自分に引き付けて読む『茂吉秀歌『赤光』百首』は塚本解釈で読む『赤光』であり、斎藤茂吉『赤光』とは違う印象を持つ。
それと同じことをポスト・ニューウェーブ世代(ニューウェーブ世代は穂村弘だ)にやっているという。そこは穂村弘の解釈によって読む永井祐や大滝和子や早坂類の歌集は穂村弘の解釈で読むのとは違うという。そのわかりやすい例は高橋源一郎の近代文学解釈で、それは実際の漱石や啄木と違っていて、現代に近づけて解釈しているのだ(例えば漱石がアダルトビデオの店長だったり)。文学(小説)で高橋源一郎がやっていることを穂村弘が短歌史という架空・フィクション(穂村弘のイメージにある短歌史)としてやっているという。
それは歌人穂村弘が寺山修司的でありながら、批評家としては塚本邦雄を目指すのだが、むしろ短歌愛好者としての中井英夫『黒衣の短歌史』に近いという。自分は黒子に徹して短歌世界をプロデュースしていく。高橋源一郎が現代文学の紹介者として新しい書き手を紹介していくのに近いのかもしれない。その時に歌人としての穂村弘は立ち去らねばならない位置にいるのである。それは『シンジケート』が青春短歌として、絶対的な愛の希求性を持っていたのに『手紙魔まみ』では友人としての共感性があるだけになっていく。ほむほむと仮想された主人公(仮面を付けた歌人)とまみという現代歌人のモデルが出会うポスト私小説というような歌集なのだ。それは『ドン・キホーテ』の仮面を付けた騎士なのである(大江健三郎に似ているのかもしれない。いや高橋源一郎だろう)。
そしてまみに短歌を乗っ取られそうになるところで、まみを抹殺していくのだった。それは「シン・穂村弘」でもあるのだ。ただこの批評はそのまま瀬戸夏子にも当てはまるような気がする。ミイラ取りがミイラになるというような。
そうした歌人の批評家でおもしろかったのは「手紙魔まみ」を技術論から批評していく川野里子『少女言葉の絶壁』だろう。最初は「」でまみとの会話と短歌の地の文(作中主体)が明確にわけられていたのだが、次第にまみの「」が消えていき、まみが作中主体としてほむほむを圧倒していくのだ。
それは「手紙魔」という魔女的少女との疑似恋愛的な短歌になっていく。ちなみに「まみ」は「兎」のイメージなのか?
手紙魔まみのクライマックスは「神」を登場させて魔女であるマミを消してしまう連歌だ。
ほとんど短歌形式を無視しているかのようにも思えるが「(神様、まみを、終わらせて)パチン」のリフレインは詩的ではある(音数も短歌に近い)。会話の部分はほむほむの表層であるような。その内面を短歌の七七に近づけることによって魔女との遊戯(ゲーム)は終わっていく印象を受けるのだ。それは『シンジケート』で描かれいた刹那的イメージからの脱却。まみの丸みを帯びた少女性は円環構造をなしており「聖母」に近づくという。それはアナーキーな破壊から「聖母」としての母性に生まれ変わることによって、青春短歌を終えるのだった。
ほとんどほむほむの絶対的愛の飢餓感は手紙魔まみの友人関係に置き換えざる得なくなっているのだ。
山田航「穂村弘は何を信じているのか?」
「短歌とは?」という最初に思うであろう疑問だった。信じるの反対に疑うがある。短歌の信仰と疑問。そういうことを穂村弘はキリスト教の神の問題に喩えたのだという。
穂村弘は熱心な信者ではないが上智大学はキリスト教系の大学に通っていた。そこでの「牧師」「神父」の扱い方は権威に対する批判精神が強くみられる。
穂村弘の尊敬するのが、塚本邦雄『幻視の女王──葛原妙子』であるといい、幻視(幻想)短歌でキリスト教批判は葛原妙子のキリスト教の憎悪から来ているという。それは葛原が敗戦によって短歌の母体ともいうべき神道を叩き潰したのがキリスト教だったということにあるようだ。「愛の希求の絶対性として」キリスト教とは反する幻視の日本の姿を見ていたとする。そして、それはキリスト教への憎悪となって現れたという。
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