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ノンフィクションのおすすめ本

『 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。』石井光太責任編集( 単行本 – 2012)

石井光太責任編集による超強力ノンフィクション・ガイド。
連続インタビュー、書き下ろし原稿、ノンフィクションベスト30、海外ノンフィクション新潮流、ノンフィクション30年史、……この1冊で、ノンフィクションの過去・現在・未来、その全てが見えてくる。ノンフィクションって、こんなに面白い!
「ノンフィクションはジャーナリズムの延長でもなければ、インテリの知的玩具でもなければ、評論家や政治家の屁理屈でもない。学生から大人まですべての人間が夢中になって読めて、しかも真実の力によって人生観や世界観を変えていくだけの力を持つものでなければならない。情報化社会になり、現実と接する機会が減った今だからこそ、ノンフィクションの持つ役割はこれまで以上に大きいはずだ。」(石井光太・序文より)

ブックガイド的に読んだ。立花隆『日本共産党の研究』は花田紀凱が編集に関わっていたんだ。どうも胡散臭いところがあると思った。その花田紀凱がベスト1に上げるのだからそうとう花田の思惑がこもった本なんだろう。

あと河瀨直美がクッツェー『恥辱』を2位にあげている。あれはノンフィクションなのか?すでにノンフィクションの境界も曖昧になっているのか?河瀨直美は選考がへんだった!太宰の『人間失格』もノンフィクションだし、そうだ檀一雄『火宅の人』もノンフィクション。何よりも驚くのは、村上春樹『1Q84』もノンフィクションに上げている。面白すぎる。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』もだった。まあノンフィクションと思えば、すべてノンフィクションの人なのだろう。

それでいてスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが全然上がっていない。ノーベル文学賞作家なのに。まあ、文学だからかな。よくわからない!自分が思う。読んでみたい本は、

鎌田慧『自動車絶望工場』

梯久美子『散るぞ悲しき』

檀一雄『火宅の人』

永田洋子『十六の墓標』

エド・サンダース『ファミリー』

ノンフィクションベスト5

アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』

2015年ノーベル文学賞受賞。
1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か.本書は普通の人々が黙してきたことを,被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント.汚染地に留まり続ける老婆.酒の力を借りて事故処理作業に従事する男,戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者.四半世紀後の福島原発事故の渦中に,チェルノブイリの真実が蘇える。

原子力というパンドラの箱を開けてしまった人類の声。そこに「希望」の文字は残っているのだろうか?最初が原発事故の火事を無謀にも消火作業にあったった消防士の妻の声。お腹には赤ちゃん。愛の叫び。その声が木霊する。夫を放射能発生物体と看護婦に言われ、現に二次感染(伝染病でもないが?)で看護婦も亡くなって、面倒を見るみる人がいなくなって兵士がやってきた。お腹の赤ちゃんも体内被曝。除染作業員や兵士のヒロイズムを掻き立てる国家と隠蔽される被爆者たち。

最後に事故処理作業の妻であり5歳の息子がいる声を持ってきたのはスベトラーナ・アレクシエービッチの立場を鮮明にしている。その前にある子供たちの声も耳を澄まさなければ聴くことができない囁きだが大人以上にチェルノブイリを語っている声の集積だ。いじめ、死に囲まれている子供たち、それを静かに受け入れる子供。それでも子供たちには未来の祈りもあるのだ。

チェルノブイリの周辺の声を集めたドキュメンタリーだが構成も見事だ。退避命令を出された住民が残したペットを殺さないで!の文字の後に入ってく猟師たちとか。放射能の残務処理に来た兵士と土地から出ないおばあさんとの対比。事故後10年でソ連が崩壊して民族対立が出てきた頃の生々しい証言もある。彼らが人が住まなくなったチェルノブイリに難民としてやってくる。放射能よりも人間のほうが怖い。一つの回答があるわけでもなくアナーキーな混乱した世界。

フクシマ以前だったらソ連だったからと言えたかもしれないけど、すでにが他人事でもないフクシマの状況。日本でも見られる似たような隠蔽の状況と置き去りにされたフクシマがある。そこではさらに酷い隠蔽工作がなされているだろうか。そうした声ももうあまり聞かれなくなってしまったのか、声を聞こうともしないのか。(2015/11/15)

石牟礼道子『苦海浄土』

工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽(せいれつ)な記録を綴った。本作は、世に出て30数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき<いのちの文学>の新装版

著者があとがきでこの本を浄瑠璃のごときものであるという。情念として立ち現れてくる水俣病の人々の言葉は中央で記される書記の言葉(医者の報告書であったり議会の議事録)と対極にある言葉だろう。そのせめぎ合いが、一つの中心性を持った本であるはずはない。死者が安らぎを求めて向かう場所であるはずの「浄土」が「苦海」であるのだ。そこから往生してくる言葉が浄瑠璃のごときものあるのだろうか。

加藤直樹『九月、東京の路上で』

国分拓『ヤノマミ』

地上の死は死ではない――。アマゾンで原初の暮らしを営む先住民「ヤノマミ」。
150日間寝食を共にした驚愕の記録。大宅ノンフィクション賞受賞作。
150日間、僕たちは深い森の中で、ひたすら耳を澄ました──。広大なアマゾンで、今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族。目が眩むほどの蝶が群れ、毒蛇が潜み、夜は漆黒の闇に包まれる森で、ともに暮らした著者が見たものは……。
出産直後、母親たったひとりに委ねられる赤子の生死、死後は虫になるという死生観。人知を超えた精神世界に肉薄した、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

堀江邦夫『原発労働記』

「これでは事故が起きないほうが不思議だ」……放射能を浴びながらテイケン(定期点検)に従事する下請け労働者たちの間では、このような会話がよく交わされていた――。美浜、福島第一、敦賀の3つの原子力発電所で、みずから下請けとなって働いた貴重な記録=『原発ジプシー』に加筆修正し、27年ぶりに復刊した名著。
◎「原発事故は人災です」<瀬戸内寂聴>

原発潜入記で書かれたのはチェルノブイリ原発事故の頃(1979年)だった。東日本大震災での原発事故を予言するような本書だが東電の隠蔽体質とか危険とか知りながら仕事がないから働かざる得ない地元の者達。さらに今も問題になっている外国人労働者。ヴェイユ『工場日記』を踏まえている。後に水木しげるで漫画化された『福島原発の闇』も読んでいたけどあらためて原発(大企業である電力会社と政府)のいい加減さとそこで働く下請け労働者の悲惨さを知る。

原発の安全神話(朝日新聞の記事でも)と隠蔽体質、それを信じていいるというより嘘に麻痺してしまう我々の現実は今の状況と変わらない。線量計のアラームが鳴ろうが作業を進めなければならない原発労働者たち。放射線以上に全面マスクとかつなぎの防護服を着ての過酷な労働。現在はある程度機械化されたとしてもそれを運んで原発内で作業する者たちはいるのだった。老朽化という(すでに当時からそれで停止したり排水が漏れたり)現実。外国人労働者は日本人とは別の放射線の基準であらかじめ数値が高く設定されている。

日本人でも働き手がいない現状だからますます原発労働者が必要とされるのだ。それと手配師や下請け会社のピンハネの現状とか。当時で日当6千円ぐらいだった。福島の事故も忘却されていく現実にありながら本書が消えることがないように。(2019/04/21)

『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』堀江 邦夫 (著), 水木 しげる (イラスト)

『原発ジプシー』の著者で知られる堀江邦夫、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるが1979年、福島原発の“闇”を描いていた!下請け労働者として原発に潜入、その知られざる現場の実態を書き下ろした堀江邦夫のテキストに、水木しげるが福島原発近くまで赴いてイメージを膨らませて、原発内部の緊張感を圧倒的迫力で描いた。過酷な労働、ずさんな管理態勢……。3・11以降のすべては、32年前当時から始まっていたことがわかる。福島原発の現場を初めて表した貴重なルポ&イラストであり、大人から子どもまで、原発労働の現実、原発の本質が一気に理解できる。初の単行本化!イラスト多数。

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